富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

岩井俊雄と並河靖之

陰暦八月初九。気温摂氏20.6/28.5度。快晴。NHK-FM朝6時からのFM能楽堂で梅若(実改メ)桜雪師〈姥捨〉独謡を聞く。解説は畏友・村上湛君。独吟は謡曲の特定の聞かせどころを囃子伴はずに独りでで謡ふのだが独謡は全曲なのでたっぷり(来週土曜に続けて)。省略なしで傑作。謡曲集を見ながらきちんと聞く。湛君の解説も数分なのだが「FM能楽堂」といふタイトルから声も調子も良いのが格別。吉田秀和先生がこれを聞いたら喜ばれるのではないかしら。母のお誘ひで水府では天ぷらの老舗〈瀧口〉でお昼に天ぷら。午後はその足で家人と茨城近代美術館。

このチラシを見て美術館も夏の子ども向け企画かとタカを括つてゐたが岩井俊雄メディアアートの第一人者でもあつて県立の美術館だから年間パスもあつたので気軽な気持ちで見に出かけたら後半のメディアアートの部分で岩井俊雄の子どもの頃からのとんでもない才能と、その進化を見せつけられて圧倒された。岩井俊雄筑波大学の芸術学群で視覚芸術を研究してゐるので茨城と縁もあり。アタシが子どもの頃に遊んでゐたものとまるっきり同じ玩具や当時先端の電気回路や短波ラジオでのBCLなど本人所有の現物がずらりと並んでゐて、その収集の徹底も驚かされるが同じもので遊んでゐても才能のある人はかうしてその世界を拡げてゆけるのだらう。ちら見のつもりがじっくりとこの世界に浸つてしまつた。夏休みの子どもたちも「100かいだてのいえ」で親しみのあるいわいとしおの展示に連れてきてもらつて「それだけ」のはずが後半の視覚芸術の世界で何を感じるかしら。


 とりわけ〈映像装置としてのピアノ〉(1995年)は圧巻である。平面上でトラックボールを使つてマーキングしたものがピアノの鍵盤上で音となり、そのマーキングは空間上で視覚芸術となる。ピアノの白鍵だけでいい加減にデータ化された音はぐちゃぐちゃの不協和音になりさうなのだが実はこれが一定の規則でプログラミングされてゐて隣の音とは重ならないとか音になるタイミングが微妙にズレて5度や7度、11度といつた和声がきちんとできる仕組みになつてゐるから何ともきれいな現代音楽に聴こえてしまふから2歳の子どもも天才のやうに音を奏でる。みんな本当に楽しそう。これで何かを感じてくれること。岩井俊雄が幼いころに自分が体験してきたことを自分の娘にプレゼントしたのが「100かいだての」であつて一連の作品で視覚芸術までもがその感覚がみんなにインスパイアされてゆくのだから。これを見終はつたら午後2時半過ぎだつたのだけれど天気も良いし五浦の県立天心記念美術館では並河靖之の記念展も開催されてゐて水府から60kmほど離れてゐる北茨城市の五浦まで常磐道を走れば1時間余なので「思いたつたが」で五浦に向かふ。

七月末に建築家K女史を此処五浦の六角堂にお連れしたときに五浦美術館の前を通り京都の並河靖之旧邸(七宝記念館)が保存修理工事のため今年一年休館で所蔵品がこちらに来てゐるとKさんからお聞きしたが五浦=天心と靖之との縁はEdward Jackson Holmesにあつてボストン美術館理事長となる同氏は同館に東洋部設け天心を同館の部長に招聘してゐるが日本滞在中に並河工場訪問して七宝の作品注文などあり(花鳥図花瓶、明治29年)。七宝といふと、あの婦人のブローチの印象が強いか花瓶などに靖之の技巧精緻な有線(植線)の図柄は見事。こちらもじっくりと拝見。一歩間違へればしつこいコテコテの紋様と色の取合わせもこの並河の手にかゝると洗練の極みなのでした。

水戸は快晴であつたが久慈川を越へ越え日立に入ると曇り空となり五浦美術館を出ると雨模様。今日は急な遠出で洗濯物もバルコニーに干したまゝだつたが復路も久慈川を越えたらまた晴れ空。水戸の台地から北を眺めるといつものやうに日立の山間に雲があるが雨をもたらすのであらう。今晩は日曜で在宅するつもりで「ほぼ日」の手帳(柴田是真「対柳居画譜」より菓子吹寄せ)の配達を夜18〜20時としてゐたが五浦から18時過ぎに戻れて同品の配達も間に合ふ。