富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

終戦記念日

陰暦七月十八日。気温摂氏23.3/31.3度。晴。

甲子園3回戦第1試合で明秀日立(茨城)が仙台育英(宮城)に敗れる。明秀日立は茨城代表といへ宮城など県外出身の選手が殆どで地元感乏しく甲子園出場での応援資金も目標額集まらず応援団など歯が欠けたやう。これで8強、準決勝となれば地元で寄付も集まつたのだらうが。この甲子園の試合を見てから旧の盆で墓参。常陸太田は藤田の田季野で早めのお昼。けんちんのつけ蕎麦。こちらは手打ちの蕎麦も風味あり味付けはじつにあっさりしてゐて好物になつた。全日食チェーンの金砂郷店は相変はらずの繁盛。金砂郷プレミアムあんぱんが飛ぶやうに売れる。旧水府村芦間に父方の墓参。

うろこ雲 子孫は近し 祖は遠し

金砂郷町を抜け久慈川に近い伯父母の墓にも参る。3年前の台風19号久慈川の堤防が決壊して、この一帯は氾濫の被害甚大。床上浸水となつた親戚の家はすでに移転して家の裏手の墓地だけがこゝに残つた。常陸大宮の叔母の家にあんぱんを届けに寄つたらオクラやスイカ、ブルーベリーなど却つてあれこれ持たされてしまつた。帰宅して書籍整理。書籍は出来る限り図書館で借りて読み購入せぬやうに努めてはゐるが何うしても購入した書籍は段ボール1箱になつてゐた。ひたちなか市にある温泉施設で入浴。夕方の露天風呂は風も晩夏らしさ。

本日終戦記念日自民党の議員ら靖国参拝。萩生田ら「国のために尊い命が捧げられ」と宣ひ「その犠牲の上に今の日本がある」とよくいはれるが、さうした言説は(荻上チキさんも今日のラヂオで言つてゐたが)「為政者側の欺瞞」であつて国民の命を失わせたのは誰の決断による犠牲だつたのかの問題を覆ひ隠してゐるのは明らか。そして彼らの死がなかつたら戦後の平和な日本はなかつたか……なんて歴史の他の見方をすべて排除する思考そのもの。姑息すぎないか。ファシズム軍国主義に対するレジスタンスもないどころか近代市民革命も経験してゐないアジアの非近代社会の姿そのもの。

今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます。

首相(岸田)もこんなことをいつてゐるが聖上は祖父の代に起こした、この近代日本最大の不幸に厳しい姿勢をとる。

ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

本当に自民党の彼らがお上の存在を敬つてゐたら犠牲となつた国民を英霊とする靖国参拝もできないし歴史の欺瞞もあり得ないのだが。

高田文夫先生がラヂオ(ニッポン放送ビバリー)で終戦記念日だから1分間の黙禱しようかと思つたが放送事故だと思はれるからやめた、と多少不謹慎な軽口を叩いたかと思へば明治維新から昭和20年の終戦までが77年で終戦(これは敗戦だと高田先生)から今年が丁度77年、戦前の日清、日露から二度の世界大戦の戦争の歴史に比べ戦後は一度たりとも日本が戦争にならなかつたことの大切さを考へるべきと至極真っ当なことをコメント。コメントのなかでお笑ひとシビアさの言葉の綾のじつに見事なこと。