富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

水府は大坂通りの〈若草〉

陰暦七月初十。立秋。まだ/\暑いは暑いが梅雨明けのころの酷暑に比べると風も幾分か涼しく空の高さ、青さもあり晩夏を感じ入る。ずっと影を潜めてゐたセミが今ごろ本当に騒がしい。早朝のちょうど一番もう少し眠りたいときに目覚まし時計のやうにセミが鳴き始め困つたもの。気温摂氏22.5/30度。快晴。

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私立図書館から『若草ものがたり』といふ私家本を借りて読む。先日、大工町の奴寿司で小中学校時代の旧友と飲んだときに奴の親方に見せていたゞいたが、こんな私家本が出てゐたとはアタシも当時もう水戸を離れてゐたので知らなかつた。

〈若草〉は水府市街(上市)の大坂通りを大通りから南に下り魚庄司の角を過ぎて藤沢小路の手前右側、新井耳鼻科(現存)の手前にあつた小料理屋。ご主人は戦前、偕楽園南崖にあつた清香亭といふ料亭の出で終戦後すぐに泉町1(奈良屋の所有地、今は水戸京成百貨店でLVのある角)で小さな飲食店を始め昭和27年に大坂通りに新築移転された。この〈若草〉は水府の酔人にかなり愛されたわけで当時は駅前の環翠(経営は変はつたが当時のまゝ現存)やこの〈若草〉、泉町2の寿司の〈可奈女〉とか小津安二郎の映画に出てきさうな酒肆がいくつかあつたのだが〈若草〉はご主人が亡くなつた後も女将が切り盛りして昭和62年に創業40周年でこの私家本を出されてゐる。常連の上客に思ひ出を原稿にと託したところ七十人から寄稿があつたさう。志満津百貨店(現・水戸京成)の島津恒雄さんに始まりアタシも懐かしい水府の酒好きの御仁が〈若草〉でのあれこれを綴つてゐて話に出てくる人の多くも記憶にある方々。昭和のよき時代。画家の福地隆、詩人の眞殿皎(いずれも故人)前者は自己と社会に厳しい文章で後者は自らの世界に酔ひ、いずれも人柄がよく出てゐる。その寄稿の中で白眉は〈かわまた楽器〉の亀田博子さんの記述。小さな小料理屋でこんな本が残せたのは、この〈若草〉のお嬢さんのご主人が茨城新聞社のMさんで記者出身で社長にまでなられたが(この出版当時、専務)MさんあつてのものでMさんのお嬢さん(つまり若草の女将のお孫さん)も題字と挿絵、寄稿もされてゐるが考へてみたらアタシの中学の同級生であつた。若草はアタシがふらふらと飲み歩き始めた高校生の頃はまだあつたのだが終ぞ行く機会がないまゝだつたのがまことに残念である。