富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

新大久保

陰暦七月初八。気温摂氏21.4/26.7度。熱帯夜に慣れてしまつてゐたので、この最低気温が肌寒く感じて寝てゐて目が覚めてしまふとは。つい四、五日前は室内の気温が30度だつたのだから。

ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く

室橋裕和『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』(辰巳出版)読む。この著者に先月偶然お会ひする機会あり一寸お話しをして別れてから「あ、あの人か」と新聞だか記事で紹介されてゐたことを思ひ出した。大久保を根城に東京の、そして日本の移民問題を精力的に取材して発表してゐる書き手である。新大久保は歌舞伎町に働く外国人女性たちが住まひコリアンタウンといふ印象だつたが2016年に東京グローブ座平幹二朗〈王女メディア〉を見に行き新大久保がどれだけ多国籍なエリアになつてゐるのかを目の当たりにした。この『新大久保』によると劇的な変化があつたのは東日本大震災だつたさうで新大久保で比較的多かつた韓国や中国からの留学生などが帰国してしまひ韓流ブームも竹島問題などで日韓関係の硬直がありヘイトデモだとか、さういふ時代。政府は東南アジアや南アジアなどから流入する人々に入国条件緩和などして新大久保は一気にアジアからイスラムにかけてのエスニック化が進んだのだといふ。この本はその新大久保の今の姿を具さに書いてゐる。新大久保は遡れば在日韓国人が多く住まふところでアタシは山手線から見えるロッテの工場がそれだつたが室橋さんはこの一帯が徳川家康による江戸入城で三河から鉄砲の同心百人隊を連れてきてこの地に住まはせ(それが新宿百人町の由来で、この部隊を率ゐたのが内藤氏)その頃から他所者の地であつたと。東京の発展で大正期から震災のあと昭和にかけ戸山は文人が多く住み戦後は新宿の後背地として都市化してコリアンタウンを経て多国籍の今の姿に。一気に読んでしまつた。

G7共同声明は「紙くず」ペロシ氏訪台めぐり中国外相が批判:朝日新聞

台湾の周囲で中共🇨🇳が大規模な軍事演習を展開。これだけ見事なら台湾は中共🇨🇳にどれだけ守られてゐるかと安堵するほど。


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