富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

常磐路の建築探訪

陰暦七月初三。気温摂氏23.9/35.2度。

f:id:fookpaktsuen:20220801063123j:image

建築家K先生来水で一泊されて今日は建築探訪ツアーといふことに。昨日教へてもらつた〈建築探訪アプリ〉といふのが実に優れもの。水戸市街でも水戸芸術館磯崎新で、いま建造中の新市民会館が伊東豊雄だとかは有名だが水戸地方気象台昭和10年のあの堀口捨己であつたり〈レストランよこかわ〉が昭和46年の増沢洵だとか。といふわけで今朝は10時にホテルにK先生をお迎へにあがり愛車でまずは市内堀町の水戸市立西部図書館へ。こちらの設計は新居千秋で最近も小牧市立図書館とかあるが水戸のは佐川一信が市長だつたからできたやうな面白い図書館で映画(図書館大戦争)の撮影もこちら。円形のホールを中心に円周にいくつもの小部屋があり図書館にゐることが本当に楽しくなるやうな空間。


f:id:fookpaktsuen:20220801063143j:image

f:id:fookpaktsuen:20220801063140j:image

水戸市立西部図書館を出て常磐高速道路に水戸北インターから入り一気に福島県のいわきは内郷へ。願成寺の阿弥陀堂(国宝)を見物。永暦元年(1160)の建立。平泉の藤原清衡の娘・徳姫(岩城国守・岩城太郎則道の夫人)が、この地(白水)は霊地と心つき一寺を建て大徳の智徳上人を住侍させたが則徳公の没後に徳姫は智徳上人に帰依し剃髪して徳尼御前と呼ばれ夫の冥福祈るため茲に阿弥陀堂を創立したのださう。ちなみに「白水」の地名は徳姫が欧州平泉の「泉」を字分して「白水」にしたのだといふ。K先生から、この「方三間単層宝形造り」の見事なバランスをもつた柿葺の屋根をもつ阿弥陀堂の建築構造について聞く。それにしても灼熱。極楽浄土も茹るほど。福島県でも中通り福島市は今日の最高気温36.6度だつたが浜通りはさすがに少し気温も低くいわき市小名浜で32.5度……かといつて30度超では「少し涼しい」なんて感じもしない。

国道6号線バイパスのまぁ立派なこと。小名浜のコンビナートを左手遠目に眺めながら勿来の関を通り茨城に入ると同じ国道6号が狭い、舗装も難ありの一般道になるから。


f:id:fookpaktsuen:20220801063204j:image

f:id:fookpaktsuen:20220801063201j:image

五浦(いづら)で岡倉天心の六角堂(茨城大学五浦美術文化研究所)。何度か訪れてゐる景観だが今日は実に青い海が美しい。冬の荒海も雨も風情があるが夏のこんなに海が透明できれいだつたとは。


f:id:fookpaktsuen:20220801063225j:image

f:id:fookpaktsuen:20220801063228j:image

遅めのお昼は〈メヒコ〉のカニピラフ。国道6号沿ひで北茨城店であつたのでフラミンゴ館併設でないのは残念。国道6号は元の陸前浜街道で海岸線に近い旧道を走る。


f:id:fookpaktsuen:20220801063307j:image

f:id:fookpaktsuen:20220801063304j:image

日立市街は海上を走る6号バイパス(旭高架道)が立派。K先生が仲良くする日立出身の建築家・妹島和世先生が設計の日立駅。低予算でこれだけの景観を見せる鉄道駅とは。日立市は沿岸の南北に長く日立の旧市街の空洞化も著しく鉄道の利用者が少ないのが本当に残念ではある。

f:id:fookpaktsuen:20220801063400j:image

日立に〈金馬車〉といふパチンコ屋があつて妹島さんは「地元」でこのパチンコ店も設計してゐて金馬車の日立銀座店はパチンコ業界初の商環境デザイン大賞も受賞(1994年)。その後、金馬車の本社ビルも日立駅前で妹島さん設計だが〈金馬車〉の会社が2015年に会社更生法適用となり事実上の倒産で会社は関西からパチンコ店「キコーナ」チェーンなど全国展開する〈アンダーツリー〉に買収され金馬車本社も今は閉められたまゝ。日立駅前には板倉準三建築研究所が設計した日立市シビックセンター(1991年)もある。高層階の円球はプラネタリウム。似た円球をもつのはお台場のフジテレビ本社ビル(丹下健三、1996年)。駅前にかうした公共施設を置くのは本当に名案だが日立駅前はイトーヨーカドーも撤退で駅前の商業エリアは日曜の午後だといふのに営業してゐる小売店もなければ歩いてゐる人も皆無に近い。


f:id:fookpaktsuen:20220802130052j:image

f:id:fookpaktsuen:20220802130048j:image

日立の旧市街は太平洋を背に駅前に立つと左手(南)に日立製作所(旧本社、現日立事業所)の巨大な敷地が拡がり右手(北)にそびえる昭和テイストの工場は日立セメント。施設の錆び具合が何とも産業遺産のやう。

https://www.city.hitachi.lg.jp/picture/003/p091864.html

今日は平安末期から現代までの名だたる設計を見てきたが最後はこの日立セメントの本社工場こちら)。需要のあるがまゝに増殖してきた、全体としての計画性も何もない機能だけの施設なのだが、それだからこその、まるで有機的な生命体であるやうな〈組織〉が日立の高台にそびえてゐるのだ。K先生を今日の建築探訪ツアーで最後にこちらにお連れできたのは面白いことであつた。

f:id:fookpaktsuen:20220801063504j:image

日立を離れ浜街道を会瀬、河原子、水木、久慈浜と浜を経て南下。久慈川を渡り東海村に入ると道路(国道245号線)の道路の整備具合が凄まじいのは当然、東海村が「明日をひらく原子の火」の村だつたから。それが今では原研(日本原子力研究所)は縮小傾向で技術者の数も減り原研周辺も雑草も伸び放題*1

【東海再処理施設 核燃料の後始末、熟練者は次々退職で人材不足(信濃毎日新聞)

国道(245号線)沿ひ5km以上!の原研を通り過ぎ国立ひたち海浜公園をぐるりと回り阿字ヶ浦。平磯を抜け那珂湊の港町から那珂川を渡り大洗。いわし料理が評判の味処〈大森〉に舌鼓を打つ。K先生を水戸駅まで送る。

*1:かつて原研に優秀な研究者が挙つて集まつてゐた頃、彼らの宿舎は水戸市内にあり、それは子女教育で水戸にある茨城大学の付属小中が遠距離通学を認めず水戸市内に社宅を設けたといはれてゐるが水戸市内の原研住宅も築50年以上で補修もされないまゝである。