富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

政治家 安倍晋三とは何だったのか(福島のぶゆき)

陰暦六月十六日。気温摂氏21.5/26.2度。曇。

「駅ビルにできた成城石井」と言はうとして「駅ビルにできた日商岩井」と言つてしまつたが相手は「日商岩井」すら知らない世代だつた。

洞窟オジさん』読む。悲惨な反省なのだがどこか明るい。少年の頃は愛犬シロに支へられたからだが、その後の人生でも本当に強烈に汚くて臭い青年が偶然出会ふ人に優しくされボコボコにされたチンピラやその筋の人たちからも何かしらの施しを受けるのは加村さん本人のどこか憎めない魅力であり山菜を摘んだり小貝川で釣りをしてそれなりの収入を得てゐたりとか人生才覚もある人だつたのでせう。

(高校野球茨城大会)常総学院が初戦サヨナラ負け(茨城新聞)

高校野球に興味もないが昨日、名門・水戸商業がシード校で初戦となる二回戦で茨城キリストに1安打に封じられ3-1で初戦敗退。さうしたら今日は常総学院が同じく初戦の二回戦で科技学園日立に負けて野球部創設以来の初戦敗退。ずいぶんと波乱の地方大会。科技学園日立といふ高校も知らなかつたが二年前、日立の「湯楽の里」で太平洋一望で露天風呂に浸かつてゐたら練習試合終はつた高校野球部の一年坊主らがまさに芋を洗ふやうに入つてきて地元のどこの田舎高校生かと思つたら関西弁どころか熊本弁丸出しの子もゐて、あの一年坊主が今年3年で主軸になつてゐるのだらう、それにしてもなぜ日立の(失礼だが)名前もそれほど知られてゐない学校に野球留学か、と驚かされた。だがシステムは実によくできてゐるもの。科技学園日立なんて聞いたこともないと思つたら実は昔からある日立製作所企業内学校である日立工業専修学校(旧日製徒弟養成所)がそれ。専修学校なので高校の部活動の大会出場ができないところ世田谷にある科学技術学園高校と連携して高野連高体連吹奏楽連等に「科学技術学園高等学校日立」として加入。この専修学校卒業生はほぼ日製への技術職としての入社が保障されてゐるやうに(更に技能五輪まであるのだ)、野球部の彼らは社会人野球の日立製作所に入る道があると思ふと熊本からの野球留学もなるほどと納得。

岸田記者会見で「わが国は暴力に屈せず民主主義を断固と守り抜くという決意を示していく」と国葬実施表明(産経新聞)

とにかくいろ/\叩けば埃が出てくるばかり。こゝはいっそのこと「国葬」レベルに引き上げて全てご破算にしてしまはう、と。わかりやすい。

サッチャー元首相が亡くなった際のケン=ローチ監督の言葉を思い出す「彼女の葬儀を民営化しよう。競争させて、一番安い値段の入札を受け入れよう。彼女が望んできたことです」(西原孝至)


福島のぶゆき(衆院議員、茨城1区選出)の安倍晋三とは何か?のコメントがまことに的を得てゐる。晋三は保守だとか右翼だといはれるが(平成さん退位のときの素っ気なさを見れば一目瞭然だが)天皇主義者でもない。祖父の信介は戦前の革新官僚だつたわけだが、ではその流れかといふと福島さん曰く「一言でいへばノンポリ」で、はしゃぐことの好きな憎めないキャラ。政治テロで暗殺されるやうな器に非ず。

このまま行つたら「日本」はなくなつてしまふのではないかと云ふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、拔目がない、或る經濟的大國が極東の一角に殘るのであらう。

三島由紀夫は戦後日本をかう憂ひたわけだが(しかし残念ながら「極東の一角に経済大国は残らないかもしれない)まさに、この戦後日本を体現したのが晋三といふ稀有の存在。この時代にフィットしたからこそ歴史に残る長期政権となつた。葬列を見送る千万の民草の「安倍総理、ありがたう!」といふ感謝のコメントは、まさに自分たちの時代の象徴が晋三であつたから。

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香港の書展に参加難しいリベラル派書展が集まつて「香港人書展」開催を企図したがスペース貸し出した側に圧力かゝり中止に。
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