富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Ce meurtre d'Abe Shinzo n'est pas un défi à la démocratie

陰暦六月十一日。気温摂氏21.2/30度。晴。さすがに昨更迄の深酒の所為で宿酔きみ。

鏑木清方: 市井に生きたまなざし (298;298) (別冊太陽 日本のこころ 298)

別冊太陽(298)〈鏑木清方: 市井に生きたまなざし〉眺める。永らく所在不明だつた〈築地明石町〉が東京国立近代美術館の所有となり同美術館で好評の〈清方〉展があり、それに合はせての、この別冊太陽は清方の作品から50を選び清方の全貌をほぼ紹介できる編集は見事。清方といふと美人画だつたが近年はその作品に描かれた「生活」が注目され〈明石町〉も髪型から指輪、着物の柄から背景までいろいろなデータからさまざまな物語が語られてゆく。50作のトップはやはり、この〈明石町〉で美人画から風景画、挿絵などと来て最後が肖像画なら当然〈三遊亭圓朝〉だらうと思つたが(アタシも小学生のときに最初に見た清方の作品は〈圓朝〉だつた)それが〈女役者粂八〉(鎌倉市鏑木清方記念美術館所蔵)とは見事な了見。

阿字ヶ浦にある「のぞみ」といふ温泉施設で常陸沖の青い海を眺めつまったりと温泉に浸かる。地下1,540mだか掘つての源泉湯なのださう。和倉温泉ほどではないがお湯は塩からくお肌には良い。露天風呂で客も少なく浅いところで寝転がつてゐたら日陰とはいへ紫外線たっぷりで日焼け気味。

帰宅して武田砂鉄『紋切型社会』(朝日出版社)を読む。著者の初めての新刊(✖処女作)で書かれてゐることはよくわかるところだし砂鉄さんのラジオでのトークとかとても見事なのだが、この文章での展開が何だか生理的にダメであつた。そこで小田嶋隆(故人)の『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社)を読むが、こちらもコラムとか雑誌の連載は良いのだが続けて読まされるとちょっとダメ。小田嶋隆が亡くなりラヂオで武田砂鉄が小田嶋追悼のコメントをしてゐて、それで考へてみれば両者ともちゃんと読んだことがなかつたと思つて読んだのだが前者はラジオのトークが素晴らしく後者も連載の短い記事とかTwitterが面白いわけで、さうした人がまとまつた本を書くと面白いかといふと、そんなこともない。内田樹先生もブログに書いたところが面白いので、それを次々と新刊で出しても面白味には欠ける。二冊も本を投げ出してしまつて夕方、NHK中森明菜の1989年のコンサート映像を眺める。何とも愛らしい彼女の姿。昭和の最後の歌姫。

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Ce meurtre d'Abe Shinzo n'est pas un défi à la démocratie

いかなる暴力も許されてはいけないが、これは「民主主義の破壊」ではない。「言論の封殺」でもない。

元首相が選挙応援演説中に撃たれたこと ≠ テロ

である、正確には。殺意の背景に何があつたのか?でテロか、テロでないか、を判断すべき。

テロとは政治的な目的を達成するために、暴力で恐怖や不安を喚起して社会や標的の方向を変えさせること。ならば今の状況は「個人的な怨恨による殺人事件」をメディアや社会や一部政治家がテロにブローアップしているといえる可能性がある。これで今日の選挙が影響を受けるなら、まさしくテロへの加担だ。(森達也

「民主主義の根幹の破壊」なんてメディアの主張もあつたが(朝日新聞朝日新聞である、全く)モリカケ桜を見る会の公文書改竄だとか国会での曖昧なウソ答弁、自らの政治理念実現に向けた無理やりな国会運営など、さうした安倍首相といふ稀有な政治家による行為こと民主主義の根幹に関はる重大な問題であり政治的テロであらうに。それが、その張本人が「母親が入信した「特定の宗教団体」への恨み」から、その宗教団体に近い政治家として首相が標的にされるとは。こんなことで戦後の日本政治の稀有な存在となつた首相の政治生命どころか生命が絶たれてしまつた。歴史は本当におかしなもの。ところで、この「特定の宗教団体」は名前が伏せられてゐるが、晋三の母方の祖父からのことを思へば「あそこか」と思つたら、やはりそれ関連であつたやう。宗教団体の名前は伏せても、この「テロリスト」の住む「奈良市内のマンション前から中継」である。おかしくね?


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今回の元首相「暗殺」といふテロが「首相級」でいへば五一五事件の犬養毅、二二六事件の斎藤実以来。だがアンダー90のアタシたちにとつては、やはり昭和35年山口二矢君による日本社会党浅沼稲次郎書記長殺害*1。それについて述べてゐたのは紐育時報であつた(とは)。山口君こそ(大江健三郎の『政治青年死す』出すまでもなく)テロの極み。テロを起こして潔き死に様。更に啄木を出すまでもなく「テロリストの悲しさ」であらう。それからすれば今回の晋三殺傷の彼の行動はテロとは程遠き「私怨」の拡大。だが我らが同胞の「安倍さん、ありがたう」同調あり、と思へば明日の参議院選では「志半ばで倒れた」(半ばを「はんば」と読んでもおかしくない)同胞たちが「安倍さんの思ひを無にしてはいけない」とか「民主主義を守る」なんて信念で自民党に投票して「自民党参院選で歴史的大勝」なんてことがあつてもおかしくないから。さらに「改憲を安倍さんの志半ばで終らせてはいけない」なんて「令和の国民運動」が生じて一気に改憲機運が高まるかもしれない。晋三が(初回の安倍政権で) 96番なんて背番号で野球の始球式に出てみたり歴史的長期政権でも寧ろ改憲気分は退潮してゐたのに、それが岸田君の政権になり晋三死去にとつて自民党による改憲が現実になつたら「死して志を遂げ」晋三は党是である「自主憲法制定」を遂行するに命をかけた「さすが岸信介の孫」で歴史に名を残すことになるのかしら。だが重要なことは、かりにこれから憲法改正が実現できても、それは「自主憲法」ではないのである。日米の関係において日本が米国の了解もなく「自主的に憲法制定」なんてできるはずがなく全て米国の意のまゝであることを自民党の諸君、自民党を支持する諸君……つまり自分たちを「保守」であると自認してゐる諸君はきちんと理解すべきなのである。

*1:浅沼書記長暗殺「もしこの暗殺がなかつたら」で戦後の日本政治は随分と違つたものになつてゐたかもしれない。