富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

京蔵、いてう@国立劇場

陰暦五月廿四日。気温は下が摂氏20.6度(水戸)上が28.6度(東京)。曇。
水戸駅に昨日、成城石井が開業。フランチャイズ含め全国に200店舗だかあるのださう。昭和2年に成城駅前で開業した果物やである。成城だつたから成城石井にできたわけで田園調布石井ではゴロが悪いし三ノ輪だつたら今でも商店街の果物やだつただらう。それにしてもどこの駅ビルでも成城石井で駅前には穴吹建設のサーパスマンションのある単調な風景。
母とお昼から国立劇場での観劇で、その前に軽食と劇場近くの〈おかめ〉に。昔からある老舗の甘味やで確か有楽町だったか、と言つたら母は有楽町の日劇の裏の横丁にあつた〈おかめ〉に記憶があるさう。今もその場所の商業施設(イトシア)に〈おかめ〉がある。


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国立劇場(小劇場)で本日のお芝居は中村京蔵さんが中村いてうさんとの二人会で義経千本桜から〈道行初音旅〉と黙阿弥の〈茨木〉の二本立て。


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〈道行〉は清元できちんとほゞ全曲をきちんと演つて〈茨木〉も相当に全身全霊をかける芝居で二時間半二人でほぼ出ずっぱりでとんでもない意欲である。〈道行〉は二人の師匠である雀右衛門と十八代目(勘三郎)が得意とした演目。本日の舞台も本当に師匠の京屋と中村屋が踊つてゐるやう。京蔵さんの舞台はいくつも見てゐるが(今日も最前列のほゞ中央で村上湛君とお隣席)いてうさんがあまりに師匠に似てゐて驚いた。〈道行〉といふと通しなら四段目で四の切の前でさらりと演じられる印象だつたが今日はたっぷり。清元がとても大切なのだが浄瑠璃が個々は良いとして揃はないのが一寸残念。
〈茨木〉は最近だと大和屋で今世紀に入り二度演つてゐた。京屋のお師匠さんも演つてゐないお役で京蔵さんの記述(本日のパンフレット)によれば雀右衛門さんが七十台半ばのころ團十郎Ⅻからのオファーで成田屋の綱で京屋に茨木をと話があつたが京屋は自分には「まだ早い」と辞退したのださう(京屋はあの人の認識だつたら七十台でもまだ若過ぎたのでせう)。その京蔵さんが〈茨木〉を初めて観たのは昭和41年5月の歌舞伎座で岡本町の大檀那初役!の真柴で綱は紀尾井町だつた由。さう聞いただけでゾクゾクするほど。その真柴を京蔵さんが勤め、いてうさんの綱。綱の家臣右源太は中村屋の鶴松君。太刀持の子役(醍醐陽君)も踊りもきちんとしてゐる。〈道行〉の静御前から〈茨木〉の伯母真柴への京蔵さんのお役の替はりぶりが見事。真柴で出てこられたときが、もうこちらもニン?といふ感じであつたが機会があればもう何度かこれを演じてもらひたい。綱を相手にした実ハ鬼(茨木童子)の片鱗をちらり、ちらりと見せるところがNINAGAWA的?でもあり面白い。後半の本性見せてからの茨木の京蔵さんは本当に熱演でご立派。
松竹が歌舞伎座で疫禍を理由に三部制でお茶を濁してゐるなか本日の京蔵さんといてうさんの会は本当に大変な芝居を二つしつかりと見せたことで素晴らしいことである。
中村哲郎さんも顔本で早速かう褒めておられた。

売名や客集めではない、苦節十年、腕一本に賭けた役者としての勝負が、まさにこの会にはあった。先ず、その一事に感動した。ご両人、あっ晴れである。(略)
この会の成果を、いわゆる名門の若手たちは、真剣に受け止めて、手軽な会などは止めた方がいい。明治の團門の7代目中車や2代目段四郎、大正の女方の菊次郎や松蔦、関西の魁車など皆、門閥外の弟子筋から、幹部になった。その点、今日は旧態墨守の制度が続くようだが、研修生出身者でも、京蔵やいてうの明日いかんによっては、幹部に列するのが至当だろう。今夜は、まことに良いものを観た。感謝したい。

本当にその通りだらう。良いお芝居を見せていたゞき京蔵さんには本当に感謝しかない。

今日も天気はさいはひにもちさう。新宿柏木のお寺に母は疫禍どころか、その前から墓参に来ておらず令和初?でお参り。半蔵門からUberで雇つたタクシーで麹町、四谷を経て柏木へ。柏木でお寺の裏手に良い花屋さんを見つけて今回もそちらに電話して供花を用意してもらふ(これで一対で二千円で立派なもの)。

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追分のほてい屋(伊勢丹)をブラついて新宿三丁目から新宿まで1区間、地下鉄(丸ノ内線)に乗つたのは初めて。新宿駅でBERGにお席があつたら母も好きな啤酒を、美味しいBERGで飲めたのに相変はらずの混雑で席もなし。西口まで歩いて寿司の〈いしかは〉へ。

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母とは新宿でお寿司のことで〈いしかは〉と話はしてゐたが考へてみたら一緒にきたのは初めて。その上で母は場所がこちら(新宿エルタワー)ではないやうな気が……といふのだが何うやら歌舞伎町にあつた昔の店のことで昭和の終はり。〈いしかは〉の大将がまだ小僧だつた頃であの当時のことを覚えてゐるお客も稀になつたと。いろ/\と美味しいものをいたゞく。母も美味しいお寿司だと食が進む。海鞘(ほや)あれば?なんていふから。「ありますよ」と大将。さっき海鞘を片付けてゐたのを母はきちんと見てゐたとは。さすが。真剣勝負である(笑)。コハダと刻んだガリを巻いてもらふ。〆に出来立ての厚焼き卵まで本当に美味しかつたこと。


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国立劇場も建物老朽化で来年度いつぱいで閉館で立て直しださう。芝居好きの祖母は「何もあの劇場は歌舞伎には陰気くさい」と言つてゐて自分も初めて出向いたときは確かにと納得したがロビーの中央に据ゑられた六代目の連獅子の木像(平櫛田中)に恐れ入つた。年寄りから評判を聞くばかりだつた六代目がいきなりリアルに目の前に現れたのだから。この劇場も無くなると思ふと寂しいものもある。