富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

陰暦五月十四日

気温摂氏15.3/23.0度。曇のち晴。天気予報はアテにならず。

早晩に会席の約あり。泉町2の〈心まい〉。このコロナ禍にあつて家人か誰か極親しいお人と差し向かひで外飲みはあつても、四、五人で卓を囲むこともなく思ひ返せば丁度2年前に或る集まりで焼き鳥屋に行つて以来。水戸のかつての繁華街の中で3階だてのビルの裏手にひっそりと佇む戦後の民家を改造。アタシにとつては地元も地元。上手に内部を改造してなかなか風情あり。風通しも良いが今どき全面喫煙可でやはり喫煙客が多くタバコ臭が流れ放題にはまことに閉口。

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この隣で今は駐車場になつてゐるところが元の川又書店。水戸で明治5年創業の大店の書店。今でも水戸駅ビルと県庁に川又書店はあるが経営はブックエース(茨城でTSUTAYAも展開)。水戸に限らないが昭和の昔の書店が地方都市の「文化の泉」だつた時代が懐かしい。

いつにもなく三更に帰宅の途でいつたいどれくらゐふりだらう、明るい月を見上げた。

吉田秀和没後10年〈ことばを奏でる芸術と、生きること「音楽は死なない」未来の書き手へ:朝日新聞

秀和先生没後10年のタイミングとはいへ、この〈語る 人生の贈りもの〉シリーズの番外編で突然の秀和先生の登場に「ん?」と思つてゐたが10回目の最終回を読んで「なるほど」と合点。

吉田は2012年5月22日、急逝した。20日の夜、吉田と電話で18日に亡くなった名バリトン、ディートリヒ=フィッシャーディースカウの話をした。本紙での訃報の扱いが小さすぎると叱られた。「世紀の歌い手だよ。あれはちょっと」と。「いろいろあったけど彼の一番の功績はヴォルフの真価を伝えたこと」とも。
音楽評論家の片山杜秀(58)は「〈吉田秀和〉は一世一代」と言い切る。「戦前の教養主義の最良の果実であり大正デモクラシー戦後民主主義の架け橋を務めうる最後の知性だった。そのパラダイムが崩壊した現在、彼が独りで切り開いた音楽批評の地平を『継ぐ』ことは誰にもできない」
政治から芸術まで縦横にわたる片山の快刀乱麻の論じっぷりを吉田本人は「僕とは全く違う新しい時代の才能」と面白がった。片山は今月から3カ月に1回、音楽季評を本紙で執筆する。
「音楽は大丈夫。絶対に死なない」。様々な苦難ののちに吉田が見いだした、この悠々たる楽観の境地を現代の書き手たちが証明する時代がやってきた。

まさに「ことばを奏でる」である。よーするに片山先生の〈音楽季評〉連載開始の前宣伝ぢゃないか。「そんなことに僕を持ち出したのか、それは一寸……でも、まぁいいか、もう死んでしまったのだから」と秀和先生の声が聞こえてきそうだ。

▼今月末で香港市長退任のリンテイゲツガが周末のイベント参加でのぶら下がりで2019年の「逃亡犯条例修例」につき、その改訂ぢたいは間違つてゐなかつた、これの主査であつた役人の説明不足と断じてみせた。明らかに後任市長(李P家超)と律政司鄭某女への当てこすり。アホちゃう?そも/\accountabilityにおいて部長級の責任者のミスは市長の責任。それに台湾での香港青年による彼女殺害があつたにせよ、この逃亡犯条例の改訂など思ひついたことぢたいリンテイの誤謬であらうに。
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それにしてもアタシは今では逃亡犯条例改訂は本当に林郑の思ひつきなのか、何か脚本でもあつたのではないかと訝しく思へてならず。それに台湾での香港青年のあの彼女殺害にしても動機や殺害後香港に戻つてからの行動が辻褄としてあまりに釈然とせず。すべてが壮大なるドラマなのだとしたら……なんて陰謀論のやうだが、何かしら筋書きの存在はあると信じてゐる。