富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

BEYOND 黄家駒の還暦

陰暦五月十二日。気温摂氏14.8/24.8度。薄曇り。昼に驟雨。夕方よく晴れる。

池波正太郎の銀座日記(全) (新潮文庫)

池波正太郎の銀座日記 (Part1)朝日新聞社)読む。池波先生といへば駿河台の山の上ホテル。宿泊は昔からと思ひきや初めての宿泊は昭和57年。日記は日付はいつもX月X日となつてゐるが、この日、沖雅也飛び降り自殺とあり。昭和57年6月のこと。それから常連となる。銀座4の嶋屋。絵の具など買ふのはこゝ。アタシは考へてみたら入つたこともなかつた。新国劇真田健一郎へのダメだしは着付けで衣装を直すこと。可愛いがつてゐた若いカメラマンの結婚で仲人を勤めて式場に行くと新郎の袴の帯の位置が悪いので直してやる。式場の着付けは花嫁のはできても新郎のがなつてゐないと嘆く。芝大門の精養軒。日本橋のTM(たいめいけん)で麦酒と薄く揚げてもらつたカツレツ。それから車海老のクリーム煮とオムライス。「こうなると夜はとても食べられないので」自宅に電話して妻に(夜食にだらう)「天ぷらそばの用意を命じて」……こんな食生活の記述が続く。昼ごろ起き出していきなりステーキ丼とか。読んでゐるだけで(池波先生のいふところの)消化剤がほしくなる。日本橋から銀座を歩くのは運動かもしれないが、こんな食生活で愛煙家では67歳で亡くなるのも不思議ではない。長谷川一夫死去にあたり代表作は長二郎時代の衣笠貞之助監督の〈雪之丞変化〉。今藤長之の長唄、芳村十七の三味線で〈勧進帳〉と〈吾妻八景〉をカセットテープ音源でウォークマンで聴く池波先生。歌舞伎で吉右衛門の〈俊寛〉と富十郎の〈船弁慶〉は歌舞伎座で三部制の導入で昭和60年9月の第三部(第二部では大成駒の桐一葉がかかつてゐる)。

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我ながら本当に地方の生活はネタがないと思ふがデパートの物産展のことを3日も書いてゐるなんて。今日は夕方その混雑する会場で西成区玉出会津屋のたこ焼きと大徳寺さいき家のお弁当を買ふてきて夕食にいたゞく。たこ焼きはソースとかマヨネーズべちょべちょで明石焼はお出汁につけて上品にいたゞくが会津屋のはソースはつけない。前菜に。ついたこ焼きで麦酒の栓を抜いたが麦酒より白ワインでも合ふ感じ。さいき家のお弁当は厚焼き卵と穴子寿司のを1つと鯖寿司だけのを1つ。家人とシェア。こちらは菊正宗の冷やで。

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元BEYONDのPaul Wong(黄貫中)が黄家駒に「誕生日おめでとう」と。家駒の誕生日は今日6月10日で家駒は生きてゐれば還暦なのだつた。フジテレビの番組収録中の不慮の事故は本当にとんでもないことであつた。あんな路線で売る必要もなかつたのに今では考へられない。BEYONDの曲を何曲も聴く。

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香港市役所きつての才媛であつた林郑(リンテイゲツガ)の行政長官としての悪夢の5年が終はらうとしてゐる。本来、行政長官などの器ではない、頭は良いがトップに立つやうな才覚はないこ役人にすぎず。それが特首になつてしまひ中共中央政府にしてみれば「予想以上の」香港の正常化に努めてくれたのだから。それにしてもこれからどの面さげて生きてゆくのか。何せ米国政府からは香港の民主化を弾圧した罪で犯人扱ひで米国にも渡航できず資産も制限され米系のクレジットカードすら持てず。一市民としての静かな生活などあり得ず。中共内地での隠遁生活か。
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党紙・大公報創刊120周年記念の郵便切手発行で大公報なんて誰も賞賛してくれないから自画自賛。マンションのロビーに積んであつたが誰も拾ひもしなかつた。今の香港で発行が存続できる新聞なんて。
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