富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

陰暦四月十七日

陰暦四月十七日。気温摂氏13.2/17.9度。曇り。

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早晩に母と家人と「遅れた母の日」で会食の約あり夕方に時間もて余し旧並松町の歓楽街を歩く。昭和の頃は酔客多く需要に応へるやうに酒場が周辺へと拡大。それが今では萎むばかりで周辺からばかりか大工町の歓楽街の仲通りまで空き店舗目立つ。旧並松町のあたりは歓楽街では場末で昔は明らかに酩酒屋と思しき飲み屋もちらほら。アタシが幼い頃は居住者も多く夕方などとても賑やかで子どもらで紙芝居も来た児童公園ばかりか歓楽街の路上で遊んでゐて小料理屋など店先に打ち水すれば路上の白墨の落書きも消され子どもは帰宅して欲望に満ちた大人たちの出番であつた。旧鳥見町はかつては料亭や割烹が並んでゐたが今ではフーゾクやソープばかり。旧信願寺通りの大工町はキャバクラが並び暗くなると、またコロナ以前のやうに(って古呂奈は収束などしてゐないのだが)キャッチのお兄さんたちが路上に出張り始めた。

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なか/\来る機会のなかつた奴寿司へ。水府の寿司屋ではもう老舗である。「炙り」とかワケのわからないネタのコラボもなくauthenticな昔ながらの寿司を食べさせてくれる。大工町の交番から歓楽街に入り裡信願寺通りの角。隣は(といふか奴寿司を除くこの区画は)路面にセイブストアがあつた大工町ビルといふ飲食店ビルがあつて大工町で最も賑やかな一等地であつた。母は旧知のお店で大変よくしていたゞく。裡信願寺通りを昔はあの天ぷらやがあつた、この洋食屋があつたと昔語りして漫ろ歩く。酔客もちらほら。だがもう昔のやうな盛況はこれからも難しいだらう。

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田中長徳先生の写真集〈TODAY TOKYO〉が届く。チョートク先生の東京オリムピックの頃から昭和40年代にかけての50年前の東京を写した写真展がZen Foto Galleryで開催され、それの写真集が同ギャラリーから出版されたもの。それもチョートク先生ご自身が親しい方相手に30冊をサイン入りで頒ちになるもので先生の口座に代金を振り込み先生ご自身が宛先まで書いて郵送手続きまでして送つてくれたもの。昭和40年代の懐かしい東京。東京リボーンとかワケのわからないコト騒ぐメディアも(NHKとか)あるが東京が引きずっているものは何も変はつてゐない……とこの写真集からよくわかる。

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