富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

陰暦二月廿五日

陰暦二月廿五日。気温摂氏9.8/20.7度。薄曇。五月下旬の陽気なんだとか。

昨晩深更のドバイ国際競走はサラブレッドの8レース中、日本馬が(どこがコロナ禍なの?といふ感じで)22頭も出場とはいへ5勝(内、矢作厩舎3勝)。詳しくは斎藤修さんのブログ(こちら)ご一読を。

f:id:fookpaktsuen:20220328172516j:image

茨城県立歴史館の特別展〈華麗なる明治〉参観。巡回展でもなく県歴の独自企画としては豪勢。それも展示を見て成る程と合点したが展示品に大洗町幕末と明治の博物館の所蔵品と御前山村伊勢畑出身で明治期の皇后太夫となつた香川敬三(鯉沼伊織)と娘の宮中女官・志保子(呉竹内侍)の遺品などかなりあり。1997年に大洗町に移管されて「幕末と明治の博物館」となつてゐるのは旧・常陽明治記念館で昭和4年に田中光顕(元宮内大臣)の寄進で建立。土佐の勤皇藩士であつた光顕は水戸藩の尊攘への貢献を顕彰すべきと大洗の太平洋望むこの地にこの記念館を設立し明治帝からの下賜の品々など寄贈したさうだが何せ記念館に隣接した日蓮宗の寺(立正護国堂)は昭和5年にやはり田中光顕が井上日召(その後、血盟団事件を起こす)を招いてゐて記念館も必然的に日召が実質的に取り仕切り。小学校の大洗遠足で、この明治記念館を訪れたときに展示内容のあまりの皇国史観と右傾ぶりに驚いた(靖国神社遊就館を想像すればよろしい)が昭和も終焉では記念館の存続も財政的に難しくなり大洗町に移管されたさうだから今は展示内容はある程度、国粋色は薄めてゐるのかもしれない。そして香川敬三と娘の志保子である。幕末の水戸藩士急進派で官軍に与して幕府軍征伐ののち宮内の要職歴任して伯爵に(屋敷跡が今の紀尾井ホール)。娘の志保子は訪欧し英国留学で欧州の上流階級の洋装やマナーなど習得したことで昭憲さんの洋装など宮中の西洋文明化に携はる。御前山の下級武士の出で宮内で活躍の奇特な父娘である。その香川家の遺品、史料など学習院の史料館にかなり遺され今回はその展示も充実。地方の県立博物館の独自展としては明治の宮中や鹿鳴館などの明治の華麗な西洋文明化の展示が充実でかなり見応へあり。

f:id:fookpaktsuen:20220328172522j:image

午後は水戸芸術館で「“吉田秀和初代館長の好きな曲”を聴く」の第三弾も今日が三回目で瀬最後。ヤナーチェクの〈利口な女狐の物語(Wiki)〉である。秀和先生は『私の好きな曲』でオペラはモーツァルトワーグナーやリヒャルトストラウスなどあるなかで完成度として『薔薇の騎士』を挙げるが好きな曲として20世紀のこの『利口な女狐』を紹介してゐる。今日は1995年に巴里のシャトレ座での公演でチャールズ=マッケラス指揮の巴里管弦楽団、オペラ演出はニコラス=ハイトナーで主演(森番)トーマス=アレンといふ映像作品(詳細はLDこちら)。楽曲として殊に第2幕後半から3幕の導入まではじつに素晴らしい。バレエでストラヴィンスキー春の祭典〉のやうな20世紀の近代音楽の粋だらう。それは楽しめたのだけれど、この〈利口な女狐〉の物語の筋がアタシには理解できないといふより、これで輪廻転生とかしぜんの摂理といはれても「三島先生、これを何うにかしてください」と願ひたいやうな。

f:id:fookpaktsuen:20220328172519j:image

静岡で評判のお菓子なのだといふ〈こっこ〉をいたゞいた。このテのふわふわケーキの中にクリームといふと「仙台銘菓」名乗る萩の月もだが個性のなさがウケるのかしら。

こんにちは、こっこです。
静岡市を流れる日本有数の急流、安倍川が地下にたたえる伏流水は、途中にダムを経由することなく、清らかで良質なお水です。
静岡の誇るこのお水で、しっとりふんわり、大切に蒸しあげたこっこは、きっとあたなのお口に、幸せを運んでくれるはずです。

静岡の安倍川の水で「美味くなる」じゃリテラシー的にナニなので、お口に幸せを運んでくれる…「はず」っていうのがこっこのココロ(新加坡U氏)なるほどw

▼(競馬)高松宮記念:横山(武)騎手のレシステンシアはハナとつてしまひ重馬場で前半3ハロン33.4秒は負担となり6着。後方待機した8番人気のナランフレグ(6歳)がG1初勝利。直近4レースの確かに末脚は見事だつた。

▼(大相撲)五月場所の優勝は若隆景(初)。新関脇の優勝は68年前の双葉山以来の由。高安はまた優勝に手が届くところで不運。優勝決定戦はじつに見事な取組みに。若隆景と同じ荒汐部屋で同じ福島出身の新幕下の大賀(本名の丹治より改名)は1勝5敗で千穐楽迎へ今日の白星は少しでも慰めになつたか。これが初土俵から彼にとつて初めての負け越し。