富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

春分の日

陰暦二月十九日。気温摂氏5.5/12.8度。晴。春分の日

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水戸市立図書館(美和図書館)が企画した歴史講座「水戸市立図書館デジタルアーカイブで見る水戸の城下町」は当初2月5日に(市立図書館ではなく)県立歴史館で開催が予定されたが水戸市の特色あるマンボウで公共施設の土日利用不可となり水戸市内の県立の施設は歴史館も含め通常通り開放されてゐたが、この講座は延期に。それが本日開催。講師は茨城大学名誉教授の(ブラタモリ水戸編にも出演されてゐた)小野寺淳先生(研究者紹介-茨城大学)。歴史地理学が専門で水戸の城下絵図が実測によるもので現在の地図の上に当時を復元。かうした精緻な復元は精度の高い城絵図が当時作成され現存してゐることが前提で江戸(東京)や金澤など全国の城下でも限られ茨城では水戸と土浦。小野寺先生は実際に自分で市街を歩き実測。城絵図は武家の記載は細かいが町人地は町人地と一色で片づけられてしまひ商家見取り図もあるにはあつて小野寺先生はそれも復元を試みたが商家は開業や廃業、移転など変化大きすぎて、それはさすがに難しい。水戸の復元地図はかなりの完成度で今は好評発売もされてゐて、それのもととなつた城下絵図も水戸市立図書館のデジタルアーカイブこちら)で公開されてゐる。
小野寺先生の講義によれば江戸時代後半から明治にかけて地図製作では茨城県出身者が多いさう。小野寺先生もそれが何故なのか研究してゐるが、まだ明確な解答は出てゐないといはれるが日本地図では伊能忠敬の先駆者としての長久保赤水(現在の茨城県高萩出身)あり水戸藩御用。水戸の製図で注目される「酒井家」を昭和のモダニズム建築で傑出した土浦亀城(1897〜1996)から辿れば亀城の曽祖父の酒井喜熈は藩主斉昭公のとき水戸藩御用絵師で地図描写に優れ「皇国惣海岸図」編纂。その五子はいずれも地図製作に携はり亀城の祖父・喜雄は当時の測量に基づく地図製作が日本で技術的に立ち遅れてゐることを嘆き水戸藩の製図技術伝へようと時習義塾を開き陸軍の地図製作に大きく貢献。その息子・市松が亀城の父で関東軍でやはり地図に関はる。喜雄の弟の倅が横山大観。水戸と地図といふだけでかなり視野が開けるといふもの。市松といへば明治期の水戸市街改正略図(明治23年)は市松製作のもの。今日の講演中にこの地図を須磨帆からデジタルアーカイブで見てゐたら地図にある発行者欄で市松の住所が(当時、土浦家はすでに東京住まひだらうが)水戸市上市寺町八番地寄留とあり。酒井家は市街でも今の城東地区にあり(大観生誕の地がそこ)市松がなぜ寺町(今の金町、五軒小学校周辺)に居留したのか。ちなみに寺町七番地は当時だが画家・中村彝の生誕地*1なのだ。

午後は水戸芸術館でコロナ禍、好評の講座「“吉田秀和初代館長の好きな曲”を聴く」の第3弾2回目でアルバン=ベルク(1885〜1935)のヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」を聞く。ヴァイオリンはアイザック=スターンで紐育フィルをレナード=バーンスタインが指揮。1954年の録音。十二音技法だとか、もう現代音楽のあの難解の萌芽が見受けられるやうで苦手なジャンルだつたが解説で楽譜を見せられコラール「われ満ち足れり」の冒頭句に一致することやバッハのカンタータ60番《おお永遠よ、汝おそろしき言葉よ》の終曲から引用して、それが何う旋律に絡んでゆくのかなどわかると不思議と安定した調べに聞こえてくるから不思議なもの。

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▼深圳が全城ロックアウトのうえ全市民検疫の結果、一週間で動態清零に成功と大公報。つまりこれを香港に「やれ」と。

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*1:この地は明治の終はりに茨城県女子師範学校となり戦後は水戸の警察学校で現在は水戸市立五軒小学校。