富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

演劇界「追悼・中村吉右衛門」

陰暦正月初四。立春。気温摂氏▲3.1/7.9度。晴。

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雑誌は買へばたまる一方なのでタブレットで読むか図書館で借りるやうにしてゐるが、これは別。『演劇界』休刊なのだといふ。三月号が最後で特集が播磨屋追悼とはあまりに悲しい(休刊は結果、翌四月号になつた)。昔は定期購読してゐた雑誌だつたが部数落ち込みで『演劇畫報』以来150年も続いた雑誌は小学館傘下となり存続の道を探つたのだが。休刊と知つて先日、水戸の丸善(傾城水戸)で尋ねたら丸善とて置いてゐなかつたので注文。それが届いて頁を捲る。小学館になつたときに一新されたのかしら版も大きくなり写真も多くなり今となつてみると面白いが、もうこれで歌舞伎や文楽の様子を窺ふ時代ぢゃないのだらう。播磨屋追悼。仁左衛門さんが書いてゐたが若い頃には吉右衛門辰之助海老蔵勘九郎、八十助と出番が合つた同士でお互いの楽屋でゲームや雑談が懐かしい、と(この「ゲーム」が賭け事ぢゃないと誰が言ひ切れようか)。それが松嶋屋(今月は歌舞伎座で一世一代の碇知盛)を除いて(れだけ高齢化の時代に)みんな泉下とは。この追悼号でやはり葵太夫さんの一文が格別。涙なしには読めない。

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〈須磨浦〉は本当に播磨屋の締めくゝりの独り舞台となり映像が残されアタシにとつてはNHKで畏友村上湛君の解説で放映され録画を大事にとつておけたことは、これからもそれを何度も見返すことができるとは本当にありがいたいこと。あの放映のときアタシは「吉右衛門丈ご本人もきつと、この番組をご覧になるのだらうが湛君から「これからも素晴らしい創造の舞台を見せていつてもらひたい」といはれては播磨屋 もきつと「こりゃ大変だ」と苦笑しながら頭を掻かれてゐるのではないかしら」と日記に綴つたが、それが、この放映のあつた月の末に播磨屋が倒れてしまひ復帰も叶はぬまゝになつて全てが夢になつてしまつたのだから。
播磨屋の舞台写真を見て、あゝもうこれも見ることができない、これも素晴らしかつたとため息ばかり。何よりアタシの無念は昭和63年5月の歌舞伎座の〈吉野川〉で大成駒の定高で月の前半が高麗屋で後半が播磨屋。アタシは前者を見て後者見逃したこと。昭和54年の国立(小)での播磨屋による復活狂言の村井長安も写真で見るとこれを見てゐたら!とため息。

月刊「東京人」 2022年3月号 特集「新版画と東京」 [雑誌]

もう一冊やはり手許に置いておきたい雑誌があつてそれも入手。

月刊「東京人」 2022年3月号 特集「新版画と東京」

巴水と紫浪らの新版画についてはそれなりに知つてはゐたつもりだつたし欧米人の版画好きも澳門の英国人H夫妻と親しくしてゐれば敬服のかぎりだが20代でMacintoshの電脳を制作販売したばかりのSteve Jobs師がすでに巴水に嵌り巴水初期の稀品などに始まり随分の蒐集で晩期も寝室に巴水が掛けてあつたほどだつたとは寡聞にして知らず。月刊誌の特集としてはさすがの充実した新版画百科のやうな内容。渡邊版画の創業者・渡邊章三郎は茨城県五霞*1の出身で東京での丁稚奉公の頃に英語の勉強始め外国人相手の浮世絵商に入り独立して運命的ともいへる巴水との出会ひで新版画といへば渡邊となつたのだが今でこそ巴水の描く日本の風景に我々も郷愁感じるが当時は日本人にとつてはどこにでもある日本の四季折々の風景であつて、それを風景版画作品にする発想ぢたい買ひ手は西欧人で高値で売れるからといふ算段があつた業界なのだと改めて思ふ。江口寿史先生がじつに見事な巴水論を書かれてゐるが寿史先生が巴水を知つたのは何と昨年の新宿での巴水展だつたさうで(雪岱も数年前に出会ひ、それもなるほどと納得)それから1年もかけずして、これだけ巴水を語るに至るとはさすがとしか言ひやうがない。f:id:fookpaktsuen:20220204072317j:image

北京冬季五輪。「世界が中国に期待をして中国はそれに応ふ準備ができてゐる」と習帝。世界が中国に期待してゐるのは五輪と防疫だけぢゃないのだけれど。
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台湾から北京冬季五輪に参加のスピードスケートの選手が練習で中共のユニフォーム着てゐた画像をSNSに流しスポーツに国境なしと伝へたかつたさうだが「台湾代表たるものが」と話題になり本人は写真削除の上、配慮不足に反省と謝罪の由。

*1:茨城県の現在は「五霞町」は茨城県ではあるが利根川の向かふ岸で旧下総国葛飾郡利根川、江戸川に権現堂川那珂川に四方囲まれ昭和の終はり頃までは茨城県本土と橋も架かつてゐなかつた飛び地で生活圏は埼玉。町役場の指定金融機関が埼玉の銀行で常陽銀行五霞町に支店どころかATMもない。