富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

節分

陰暦正月初三。気温摂氏▲4.1/12.3度。晴。家人が散歩で水戸八幡宮を通つたら今日は節分で参拝者に豆まきの豆やおかしを配つてゐたさう。悪疫猖獗で豆まきはせずパック入りで子どもに配るおかし(森永のチョコボール)まで貰つてきた。今では節分=恵方巻のワケのわからない奇習が定着してしまひセブンイレブン以外のコンビニやスーパーでもさかんにそれを売る。家人の寄つたスーパーでは「太巻き」まで恵方巻と並んでゐたさうで「こんなのがあつて」と買つてきたのはトロとカッパの太巻きであつた。太巻きにする何も根拠もないのに。ちなみに知己の高校の先生がリモートのHRで尋ねたら今では7~8割の家が節分に恵方巻パクついてゐるのに対して柊鰯を飾る家は1割だつたさう。柊鰯が1割ゐたことはむしろ絶滅危惧習慣としては大したもの。

海老蔵、隠岐の海も「福は内」成田山新勝寺恒例の節分会:朝日新聞

NHKテレビ(録画)で中村屋の番組を見る。

「そのとき歌舞伎は世界を席巻した 〜十八代目 中村勘三郎の挑戦〜」アナザーストーリーズ - NHK

初代は吉右衛門、六代目は菊五郎、九代目と十一代目は團十郎、十五代目は羽左衛門だが歌舞伎の歴史に残した画期的な功績からすれば十八代目といへば勘三郎といはれるかしら。それにしても歌舞伎座で納涼歌舞伎始めたのが1992年だと思ふと、それから20年はあまりに短すぎた。18代目襲名が2005年でわずか7年での逝去。だからアタシのなかではいつまで経つてものりちゃんは勘九郎であつて勘三郎と聞くとお父っあん(17代目)が浮かんでしまふ。