富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

社会的共通資本

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一昨年11月11日に交通警官が路上で抗議活動する若者を銃撃で重体とさせた事件。交通警官が抗議者の一人を取り押さえ、それを助けようとふらふらと近寄つてきた若者に対して発砲。その若者は武器も持つておらず映像で誰が見ても警察に対して攻撃的でもないのだが警官はこの連中が武器を持つてゐると思はされ孤立無援で発砲は正当防衛を主張。警官は明らかにパニックになつてゐて冷静な判断とは思へないが(それくらゐ、あの当時の黒暴派の抗議活動は勢ひがあつたのだが)この警官の主張が間違ひなく酌量されるであらう。この時もさうだし10月1日国慶日の抗議活動でもさうだが警察が抗議派の若者に発砲し僅かに急所外れ撃たれた若者は助かつた。路上占拠する若者たちに逆上した警官が白バイで抗議派の隊列に突っ込んだこともあつたが、その時も怪我人も出ず。明らかに警官はパニックで行動は常軌を逸してゐたのだが、もしあれで市民に死者が出てゐたら抗議活動も香港市役所の対応もまた違つてゐただらう。しかし偶然とはいへ抗議派の死者は出なかつたことは神は政府側に見方したのか。

📖宇沢弘文社会的共通資本』(岩波新書)読む。もう20年余前に出たこの本が今、増刷を続けてゐるのだといふ。

社会的共通資本 (岩波新書)

社会的共通資本(Social Overhead Capital)はわかりやすいが制度主義(Institutionalism)はピンとくるものではない。古典的にはアダム=スミス的な社会にとつて経済学的に「かくあるべきもの」を示す経済学と思へば良いのだらう。社会的共通資本が何かといへば自然環境、社会的インフラと「かくあるべき」が求められる制度的資本としての農村や都市の社会、教育、医療、資本や金融があり、その中でも近年深刻な破壊が問題視される地球環境があり、この問題が最初の社会的共通資本である自然環境に帰結してゆく。宇沢先生らしさは農村の一つの形としての三里塚農社であり都市化する社会の中での自動車の社会的費用についての考察。弘文先生逝去が2014年。まだお元気だつたら今の中国の経済成長と米国と対峙するほどの覇権国家としての台頭をいつたい何う見られるかしら。中国の特色ある社会主義では社会的共通資本は国家の手によつて保障されてゐるやうにも見える。教育で英才教育が進み受験熱が煽られたり高額負担による医療と公立病院との格差だの問題も見えるが補習塾閉鎖や医療機関査察などの手段でもつて格差是正に取り組んでゐるやうにも見える。だがその社会で自由や人権などがひどく制限される代償。これを何う宇沢先生なら見るのだらう。この本が読まれる、共鳴を感じられる社会なら新自由主義への懐疑であるとか電通パソナの跋扈する自民党と政府のやり方に多少なりとも批判が高まつて選挙にそれが反映されて当然だと思ふのだけれど。