香港での憲法教育の徹底。香港の民草に中国といふ国家意識をもたせることの大切。倉田先生が指摘されてゐたことだが香港の人々といふのは中共から逃れてきた人たちが大部分で中共に対する違和感はDNAのやうなもの。それでも中共の国家としての進歩、発展であるとか自然災害での支援には協力しようといふ姿勢がある。中国のさうした安定が自らにも大きき関与するからなのだが、やはり前述のDNAがあるから自分は中共の中国とは別。それが今ではもう「逃げ場がない」といふ観念で開き直り身売りしたのがリンテイ市長らの親中派だらう。彼らは英国統治なら英国に誠実で中共となれば中共に尻尾を振ることができる。
『香港参與国家改革開放志』といふ官製書誌が発行されたさうで、そこには香港がこれまでどれだけ中国の発展に寄与してきたか、の素晴らしい過去が記憶されてゐるやうで、だからこそ今後もそれを続けていかなければならない。だが実は今では立場が逆転して中国が香港の発展に寄与してゐるのだが。その書籍のなかに1977年、香港の代表団が北京訪問の記載あり。鄧小平による第十期三中全会の開催が1978年だから毛沢東死去で四人組追放といふ当時。北京の鉄道施設で機関車の前での集合写真。合和実業の胡應湘(Sir Gordon Woo)と長江実業の李嘉誠のまぁ若いこと。これから自分たちが故郷の中国の経済発展に寄与してゆく希望と意気込み。少なくとも当時はさうした経済発展で中国社会が良くなることを期待。確かに中国は経済的に豊かになつた。
立法会選挙の立候補者に対する質問で4分の1の候補が回答し11人が六四集会開催否定せず(明報)。この11人が当局が許容できるぎりぎりのリベラル派なのだらう。六四集会を断固開催継続すべき!なんて意見ではなく「香港市民のこれまでのさうした政治的言動の自由は保障されるべき」といつた正論で当然のことながら、さうした運動が反政府的、中央政府非難になることなど当然不可が前提。明報とはいへ、かうした取材ぢたいが許容されるのは市役所としても官製提灯選挙で選挙が不人気になるのを避けるため、ある程度「自由闊達な政治空間」の演出が必要だから。
瓜連のあまや座にジム=ジャームッシュ監督作品の映画が8本だつたかかるさうで今日は『コーヒー&シガレッツ』を見た。
「もう何度も見た」と思つてゐたが見始めてから「あれ?」と思つたのは当時……つまり“Stranger than Paradise”のヒットの頃に見た“Coffee & Cigarettes”は短編であつたのに今日のは89分もあつて「これでもか」といふくらゐ10分に満たない短編で珈琲とタバコを一服しながらの物語が続くのだ。しかも携帯電話なんて登場するのだから当時のものぢゃない。エンディングロールを見たら2003年に完成してゐる作品で結局のところ1986年に、この映画でも最初の短編である〈変な出会ひ〉が撮られて以来、ジャームッシュ監督が断片的に撮影した11本の作品をまとめたものがこれ。それにしても面白い。一寸非日常的な一寸正常ぢゃない二人の会話。不思議なカフェ。たゞ残念なことはいくつかの作品に「意味がある」こと。最初の〈変な出会ひ〉〈双子〉など物語に意味もないし必然性とかないのだが、それが後半にある〈いとこ同士〉や〈いとこ同士?〉になると必然性や意味づけがあつて、そんな当たり前のことが何かおかしなことに思へてしまふのがジム=ジャームッシュの世界。
偶然なのかもしれないけれど、今日この映画(日暮れからの上映)の前に家人と二人でカフェなんてどれだけ久しぶり?で水府のとなりのひたちなか市で勝田駅前のサザコーヒー本店に寄つたのである。二人でカフェなんて丁度1年前に渋川からバスで軽井沢に着き長野行きの列車まで時間があつて軽井沢駅のカフェに入つた時くらゐ。サザコーヒーに寄つたのも無意識に、この映画を見るといふ気持ちが働いてゐたのかもしれない。今ではもう東京にも丸の内KITTEと品川駅構内にもあるコーヒー専門店で雑誌のコーヒー特集になんて常連だけれども珈琲の自家焙煎初めて半世紀でこんなにならうとは。と思ふとアタシがこのサザの珈琲を初めて飲んでからだつて45年くらゐは経つてゐるのか。