富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三津五郎『歌舞伎の愉しみ方』

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(大公報)口岸(kǒu'àn)は元々は「港」を意味するが現在は「とくに香港と澳門経済特区と内地を結ぶ地点の」出入境審査場を指す。国境ではないので出入国管理とはいへず、それでも厳格に出入りの関所があるわけで「口岸」といふわけ。12月19日だかの立法会選挙に向け香港と深圳の間にある口岸何ヵ所かに投票所を設置するのだといふ。内地に居住する香港市民の有権者に配慮ださうで口岸まで来たら香港はすぐなのだから香港の居所近くで投票済ませれば良いと思ふが防疫での措置で内地と香港を跨ぐ場合に隔離期間があるため、このやうな口岸投票の便宜図るさうだが厳密にいえば口岸とはいへ内地で香港の投票ができるのだから、これも一体化の一つの形だらう。
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(明報)香港ですでに政府公共施設の立入り等で使はれてゐるアプリ「安心出行」が12月9日から飲食店やジム、雀荘、カラオケからマッサージにまで拡大。これまで入口で用紙に必要事項記入で済ませてゐたところもアプリ必須とは。市中はCCTVで録画されあちこちに出入りもアプリで監視され、本当に未来世紀ブラジルのやうな世界が現実に。

坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ

坂東三津五郎歌舞伎の愉しみ方』(岩波書店)劇評家・長谷部浩編。役者の芸談といふと元禄の吉澤あやめの『あやめ草』まで遡らないとしても明治の團菊左とか六代目だとか十五代目、吉右衛門Ⅰや松助Ⅳ、初代鴈次郎、歌右衛門Ⅴ&Ⅵ、梅幸や中車Ⅶなんて名前が浮かぶわけですが三津五郎Ⅹがこんな見事な芸談を残してゐたとは。これは長谷部さんが2007年に歌舞伎座NINAGAWA十二夜のとき幹事室で見せてもらつてゐたら三津五郎もふらりとそこに現れいろいろ解説を聞きながらの観劇となり長谷部さんは三津五郎芸談をまとめやうと発案だつたのだといふ。

南北を本当に再生させるには、今の歌舞伎の作り方では、稽古期間が短すぎるように思います。「それじゃ、いつものやり方で」と、世話物の段取り、演出を決めていってしまうと、再生させたことにはなりません。その作品が持っている本当の意味が、蔑ろにされてしまいます。南北はとくに無駄なところが大事なんです。

とこんな鶴屋南北の話から黙阿弥との演出の違ひを語つてくれるなんて。わかりやすい上に曖昧な間隔ではなく理論が整理されてゐるのが見事。昨日の日剰にこの長谷部さんの『名人と天才』といふ三津五郎勘三郎の評伝のことを書いたが三津五郎によれば叔母は二人の『三番叟』の踊りをみて「フジテレビとNHKが踊ってゐる」と言つたさうな。さすが幕内の人の形容。三津五郎は学究肌であつた祖父・八代目の書き残したものをきちんと読んで解釈し器用に演じることを得意としたといふ。先輩の役の指導、ダメ出しにしても面白いことを語つてゐる。昭和57年に忠臣蔵で初役で勘九郎勘三郎XVIII)が勘平と判官、三津五郎が平右衛門と若狭之助を勤めたとき監修は勘三郎歌右衛門だつたのだが勘三郎のおじさんは息子の勘平しか見てゐない。それに対して歌右衛門は甥の福助がお軽をやつてはゐたが大序から七段目までずつと板の間に座つて誰彼の区別なく指導を続けたといふ。義太夫のことから立ち役まですべてをわかつた上で。

あんたね、わかるんだよ、それ。たしかに紀尾井町もこうやってやるけれども、おまえさんがやっていると、なんか踊りを踊っているみたいだからね。もうちょっと勉強したほうがいいよ。

なんて本当に大成駒屋が見えてきてしまふ。「ただ怖いというだけじゃなくて、それだけの強い信念をもって歌舞伎に対する責任と愛情があった」と三津五郎の言葉。三津五郎にしてみれば哲明(のりあき)君は黙つてゐても勘三郎の倅、自分も三津五郎といふ家を継ぐことにはなるが菊五郎劇団の中堅の蓑助の息子であつて(母が八代目三津五郎の娘で蓑助が九代目を継いでゐる)なかなか役も回つてこないし大役の教へも誰に請へばと悩むほどだつたが紀尾井町辰之助が亡くなつたことで松緑Ⅱは自分が六代目に教はつた型を孫に伝へてほしいと三津五郎にそれを伝授したといふ。実に読み応へのある芸談であつた。

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ところで八代目といへば図書館でこの本を借りる際にカウンターの司書のお姐さんが後ろにゐた若いスタッフに「あの、三津五郎の本が何冊かあるから」と口走った。図書館では本のタイトルとかあまり口に出さないルールがある。それでもかう三津五郎の名前を出したのでアタシはすぐにこのお姐さんはお芝居がお好き、とピンときた。お姐さんはアタシに聞かせるやうに「これって今の三津五郎の、か」と。アタシはそこで、もう芝居友だちのやうに「さう、八十助ですよ、フグ三津ぢゃない」と。あれ?お父さん?違ふ父親は蓑助*1、お祖父さんは本当にフグが好物だったから、あれって昭和50年だなんて、そんな経つの?ってもう。本当に辰之助さんから若手の「これから」って役者が亡くなっちゃって……と他に利用者もゐないことに暫し芝居談義。かういふことは本当に楽しいかぎり。

*1:八代目三津五郎の娘と結婚して婿として九代目を襲名。