富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

国立に住まう。


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中共が台湾を武力でもつてまでして吸収するのではないか?といふ懸念に対して中共王毅外相曰く「台湾独立を制止することが何より重要で「和平的な統一」には更なる希望がある」。台湾政府をしきりに批判する中共だが蔡英文総統にせよ独立志向はあるにせよ一度も独立とは宣つてゐないのだが。そして中共は最近、中華民国🇹🇼の国防や民国承認を維持する外交に投じる費用は中共🇨🇳との統一で年間5,000億台湾ドル(2兆円)も省かれ民生にその資金がまはり台湾の民衆は1人あたり年間所得で82千円増だといふ。だから生活は悪くならないどころか、むしろ向上するのだ、と。しかし台湾の人々はその程度の資金の潤ひで中共一党独裁下に置かれ自由を失ふのなら今のまゝの方がずつと良いと思ふ。
中共🇨🇳で副首相との不倫やセクハラを暴露した女子庭球選手の行方不明。その選手は無事に生活してゐると中共の党報が報じてみせる。自由がないどころか真実もない不幸な国である。
しかし欧州で「暴動」なんてニュースを見るにつけ「自由」や個人主義とかが何だかもうワケのわからないところに逝つてしまつたのか……と嘆きたくもなり李光耀は北叟笑むだらうし中共は「だからこんな自由や個人主義を押し付けられてはいけない」と主張を強める。

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この高齢者用マンションの「国立に住まう。」が何度も見てゐるがコピーに慣れず違和感あり。最後の「。」は糸井重里の「不思議、大好き。」(1982年)で「モーニング娘。」とか「もう、どーでもいい。」ので論外として、やはり「住まう」だらう。青汁臭い国立に「住む」んぢゃなくて「住まう」とすることで何か一寸「立川とも国分寺とも違ふ」何かを表現したい。「住まう」は「住む」の未然形に接尾辞「ふ」がついた形で、この「ふ」は古代の反復継続の助動詞。「住んでいる、住みつゞける」意で「国立のやうな環境のよいところに住まつてゐる」とか用ゐる。
 住まひ給へるさま言はむ方なく唐めいたり(源氏・須磨)
「住まふ」の他に計らふ、向かふ、などあり、その連用形から「住まひ」「計らひ」「向かひ」など名詞に。どれも音の柔らかな美しい語感。それで古語の「ふ」だから「う」で「住まふ」が「住まう」になつた、といへばそれまでだが違和感がある。「言ふ」を「言う」としたのと同じぢゃないか、と思はれるが「いふ」はその「はひふへ」の活用を「わいうえお」に置き換へたもので、それと同じやうに「住まふ」で助動詞「ふ」が接尾辞となつたものまで「う」にしてみせた。「何処へ向かう」など日常用ゐてゐるし、バカ殿も「よきに計らえ」なのだが「国立に住まう。」はやはり違和感がある。「国立に住もう。」でいいのでは?

▼(惜別)漫才の正司敏江さん(朝日新聞
芸人になるしかなかった。家は貧しく畳もなく、中学も出ないまま口減らしで故郷を離れ大阪へ。かしまし娘の元で下働き、読み書き不自由なまま芸人に。弁舌の機転を鍛えた。「ほったらかしの天才。横山やすし師匠が組みたがってた」https://t.co/dp3eqLsMAH

エディタ・グルベローヴァさんは大の地震嫌いで日本公演躊躇が2011年、東日本大震災の年の秋、誰もがキャンセルと思ったバイエルン国立歌劇場で来日公演。「日本に行く勇気を私にくださった神に心から感謝しています」と。