富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

陳独秀その思想と生涯1879-1942「反対党の自由」

朝の最低気温が摂氏4度。まだ10月なのに。水府の10月の最低気温は調べてみると明治37年に氷点下0.5度といふのがあつて10位(摂氏1.6度)までに戦後でランクインは1983年と84年に2度だけで戦後どれだけ温暖化が進んでゐるか。

陳独秀 その思想と生涯 1879-1942  胡適序言・陳独秀遺著『陳独秀の最後の見解(論文と書信)』を読む

佐藤公彦『陳独秀その思想と生涯1879-1942 胡適序言・陳独秀遺著『陳独秀の最後の見解(論文と書信)』を読む』

本編だけで500頁超で記述に幾つも他に考へる事も多く数頁読むのに数日要すとこもあり何故かといへば共産主義革命とプロレタリアート独裁、専制といつたさま/\な問題を一つ/\再考しなければいけないからで3週間ほどかけてやつと読了。中共にとつての初代総書記。「毛沢東中共」で陳独秀は扱ひもないに等しかつたが中共の結党100年で今年は6月に東京で中国大使が独秀の学んだ早稲田を訪問したり(日剩)。そこで陳独秀は文集は東洋文庫で読んでゐたが中国近代史の佐藤公彦先生のこの本でもう一度、陳独秀を勉強したいと思つた次第。さういへば中共結党90周年の時も〈建党偉業〉なんて豪勢な映画が制作され、そのときも陳独秀の扱ひが目立ち印象的であつた。映画「建黨偉業」あれこれ - 富柏村日剩

陳独秀共産主義は信じてゐたが民主主義や西欧型のブルジョワ的市民主義、さうした制度の理想系としての共産主義に希望を託しただけであつてボリシェヴィキ的に運動を展開できず、ましてやプロレタリアート独裁なんて論外。

民主主義は人類が政治組織を発生させてから政治が消滅するに至るまでの間、各時代(希臘羅馬、近代そして将来に至るまで)の多数階級の人民が少数者の特権に反抗してきた旗幟である。「プロレタリア階級民主」は中身が空っぽな名詞ではない。その具体的内容はまたブルジョワ階級民主と同じように全ての公民がみな集会、結社、言論、出版、ストライキの自由をもつことを要求している。特別に重要なのは「反対党の自由」である。これらがなければ議会はソヴィエトと同様に一文の値打ちもない。(1940年「私の根本意見」)

新青年』の刊行。北京大学。学長は蔡文培。陳独秀が文科学長就任で独秀の推薦で胡適を米国から招く。新文化運動。当時が最も「岩波書店的に」理想的な時代だつたであらう。マルクス主義と「宗教的必然性について*1」。

道徳は不変なものではなく時代と社会制度の変化に従ふもので道徳といふももは自立を以てするもでの、それを持つてきて人を責めるもではない。道徳は身を以て実践するもので口でみだりに叫ぶところにない。道徳が声高く叫ばれる社会ほど、その社会は落後し愈々墜落する。

1920年当時の中共結成に於いては社会主義無政府主義、民主主義、三民主義やギルド社会主義など当時流行してゐた思想諸潮流の人士が集まつてゐたことがわかる。「プロレタリア独裁」を認めるか何うか。『新青年』停刊。「ホラ吹き」であるブルジョワ革命家で機会主義的政治性向(マキュベリズム的な)孫文〈理想主義〉の革命の失敗。五四運動的理想主義から「実践としての」毛沢東思想への変換。陳独秀『告少年』の理想主義。ソ連英米の支援を必要とするスターリンによるコミンテルンの解散。中共コミンテルンの拘束から解放されての今。

毛沢東思想〉 思想の正しさ、真理性は権力をめぐる「実践」その実践の目的は軍事的勝利。その実践論の具体化としての毛王沢東思想の実践としての成功。

陳独秀の思想と実践はまさに岩波的な知識人による中国の近代化。ではそれで共産主義革命が中国で成功したかといふと疑はしいものあり。毛沢東だからこその中共の国家の設立。陳独秀中共創設時のトップでありながらコミンテルンの指示で国境合作を受け入れたのに国民党との協調に後日「右翼日和見主義」と訴へられ陳独秀トロツキーにシンパシー感じて独自の路線に真価を問ふ。

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本日、菊花賞。先週の桜花賞は「ソダシ外し」に賭けて白馬を外すなら「赤」だらうといふことでアカイトリノムスメ(戸崎)とファインルージュ(ルメール)を選んだら見事にゲッツーである。余計な「予想」などせず、かうして言葉遊びで的中🎯とは。そして本日の菊花賞は3番人気のオーソクレース(ルメール)からステラヴェローチェ(吉田隼、2番人気)、穴で12番人気で単勝44倍のヴァイスメテオール(丸山)にしたところ4番人気のタイトルホルダー(横山武)がハナをとつて3千米を走りきつて5馬身差!で圧勝。このタイトルホルダーは5月のダービー6着、先月のセントライトGIIはブービーの13着で外してしまつたが結果論だが先行馬でハナさへとれば3月の弥生賞優勝、4月の皐月賞2着と安定するのでした。それにしても立派は走りに敬服。オーソクレースは2着に入り3着にディヴァインラヴ(福永)でステラヴェが4着。ヴァイスは15着。1番人気のレッドジェネシスは10着。

*1:小生高校生の頃にアタシが英語を個人授業で習つてゐたY女史は何かの時に自分が信奉してゐた先達の名前として「赤岩栄」を挙げ高校生の小生は何も知らず。アトで人名辞典で確かめたら戦後、日本共産党に入党したキリスト者であつた