富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦九月初七


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深圳市が香港で地方政府債発行。50億元(882億円)規模。中央政府はとにかく香港の経済好況を維持発展させなければいけない。全国での経済成長に陰り見え始めるなかインフレなど経済環境が厳しくなるなかで今後この維持は難しくなつてゆくわけだが。
香港の学校で毎日、国旗掲揚の義務化。週に一度は国歌斉唱しながらの国旗掲揚式を実施しなければならないのである。

教育局就學校升掛國旗及舉行升國旗儀式提供最新指引

そのやうなご時世で香港の学校はこの九月の新年度に急激な児童生徒数減少に見舞はれたといふ記事(紐育時報)。

Shrinking Schools Add to Hong Kong Exodus - The New York Times

もはや香港に未来はなしで香港離脱のエクソダスの時代か。

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アベスガの自民党政治硬直化からのせめて軌道修正をこの岸田といふ政治家は期待されたわけだがアベスガ疑惑には一切踏み込まず総裁選での主張も蔑ろに。

藤森照信の茶室学―日本の極小空間の謎

藤森照信藤森照信の茶室学―日本の極小空間の謎』(六耀社)読む。今は陋宅マンションの和室に文机を置いて自室のやうにしてゐるが床の間があるとないとでは空間性がずいぶんと違ふもの。

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置き場のないタイプライターが床の間に置いてあるのはご愛敬。こゝでお薄で一服してゐるとやはり茶室といふ空間が気になる。そこでこれを読んでみた。茶室については義満の同仁斎から珠光、利休といふ漠然とした流れは誰でも知るところで藤森先生も茶室についての研究は堀口捨己(紫烟荘の設計者としても知られてゐる)や中村昌生といふ先人の成果で、それ以上もう何も必要ないのではないか、と思つてゐたといふ。それが何故に自分でも茶室をきちんと自分の考へでまとめてみたいかと思つたかといへば、実際に自分が茶室の設計をすることになつたといふこともあるが、なぜこのやうな茶室ができたのかといふ、その「謎」を利休の観念や精神論だけではなく、具体的な建築としてどのやうな状況でどのやうな判断と手法で「あれ」ができたのかといふことを秀吉の光秀討伐の山崎の戦さのさなかに秀吉が本陣を置いた宝積寺で阿弥陀堂に即席の茶室を設へることになり柱か壁、雨戸転用の応急措置の狭い茶室だつたが、それがじつに趣きあり秀吉もいたく喜び、それがベースになり待庵になるといふ、これは藤森先生らしい独創的な面白い発想なのだが、それを具体的なその設への方法まで詳述して分析して見せる。

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確かに、この条件で現場の資材あり合はせで茶室を即席で拵へたらかうなるだらう、といふ仮説なのだが、これは面白ければ「これでいいのだ」。利休については藤森先生は、その思考と思想を「小乗の悟り」として、発想を「反転」とする。利休の時代に小乗であつた茶道は大乗となつて今日に至ると。反転は書院造から茶室そして数寄屋造への流れを「正→反→合」と弁証的なものとしての理解。

もし利休とその一派が現れなかったら、信長と秀吉の茶はどうなっていたのか。おそらく、闘茶で実践された欲望の全開を、もっと激しくもっと極端に突き進んだ。書院造の床の間の前でそれまでなされてきた殿中の茶の中国趣味に加え、南蛮趣味も加わり、和と漢と洋の入り混じった危険水域に突入していたにちがいない。