富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

兩地一檢

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香港と深圳のボーダーを「国境」といつてしまつたら、それだけで国安法で逮捕か。老朽化してゐた皇崗の口岸(kŏuàn、今では特区と内地の関所の意)は建替へで「両地一検」となり「越境者には更に便利に」と大公報。「両一」はイメージ的には私鉄からJRへの乗り換への改札でSuicaとか一枚で私鉄の精算とJRの入鋏(ってもう言はないか)が同時に済んでしまふやうなもの。但し現時点ではカードは香港市民の場合はHKIDと回郷証の2枚が必要だが一つのゲートでそれが済む。そのうちHKIDに回郷証がデータで入り更に将来は内地と香港のIDが同企画になるのだらう。これでかつての(今でも羅湖はそれだが)両地両検が15分かゝる通関が20〜30秒で済むことになるのだといふ。高鉄の香港段の完成で九龍站に中国側の出入境事務が出しゃばり「一地両検」実施がかなりの反対運動になつたが特区制度も2047年までで後四半世紀と思ふと遅かれ早かれボーダレスに向かふのは当然のことなのか。

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かつて香港は十月になると一日の国慶節🇨🇳があつて十日には双十節🇹🇼があつて尖沙咀の彌敦道で旗の交代が香港の立ち位置を象徴するやうな光景であつた。それが1997年以降、台湾勢力が中共領の香港で活動は制限多くなり、それでも個人の双十節祝賀の自由は残されてゐた。友人の一人も双十節には数年前まで自宅のバルコニーに🇹🇼旗を掲げてゐたが叱られもしなかつた。辛亥革命国共合作中共の歴史においては正当なのだから。それが香港での逆権運動で中共否定の意味で民国旗が振られ台湾支持が大きくなるにつれ当局は当然のやうにそれを危険視する。それがついに香港市役所の保安局長・鄧某が「国家分裂の意図なしといふのなら何故に双十を慶祝するのか?」と疑問呈して、その忖度でもはや香港では辛亥革命すら記念できず(と明報)。中共でも公史としては肯定してゐる五四運動だが、これの記念祝賀が反政府運動につながることで事実上禁止されてゐるわけで香港では辛亥革命を声高に評価することが叱られるわけだ。

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傾城水戸の店頭で昭和38年製造の日野ルノー4CVを350万円で売つてゐて「高っ!」と思つたがHK$246Kだと換算したら思はず「安くね?」と思へて香港Amexのカードで大人買ひしさうだつた。危ない、危ない。昭和38年なんて東京五輪の前の年で東海道新幹線首都高速道路の建設が着々と進んでゐたわけでユーリ=ガガーリンが宇宙有人飛行で「地球は青かった」も2年前なのにまだこんな美しいフォルムの自動車が製造されてゐたなんて。思はず感涙に咽びさう。家人と一緒だつたので「きれいだねぇ」でため息で終はつたが一人だつたらマジにかなり危ないところであつた。


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傾城水戸の角で家人と待ち合はせしたのは水戸芸術館でピピロッティ=リストなる瑞西独逸語圏出身のビジュアルアートの展覧を見に行くから。最初からわかつてはゐたが招待券貰つたので伺つたがやつぱり苦手な世界。閉館直前であつたが4、5人の参観者は存在。会期が観戦対策の休館で減るに減つて不運な展覧となつてゐる。

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水戸芸術館は古呂奈対策で午後6時の閉館で外に出るともう日が暮れてゐる。人里離れたやうな暗さだがこゝは水府の中心地なのである。薄暗いなか鉄砲町の方に歩くと暗闇のなかに灯りが見える。直侍の入谷ぢゃないんだから。此処はアルコイリスといふ食肆で“Arco -Iris”は葡語で「虹」の由(仏語なら“arc-en-ciel”である)。Notfallerklärungゆゑに店舗での営業は昼だけで夜は店頭に屋台を出して、そこでハンバーガーなど外賣で供してゐるのだといふ。飲食店も厳しい日が続く。常陸牛のバーガーと肉詰を贖ひ帰宅して飰す。


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数日前にNHKのニュースで鹿沼市崎陽軒創業者が鹿沼出身といふだけの理由で鹿沼を宇都宮の餃子に肖りシューマイで売り出さうとあまりに浅はかな気がするが駅前に〈シウマイ像〉設置だといふ。地元出身の塑造家の作品ださうだがあまりに抽象的で、これのどこが焼売なのか判らないが少なくともモダンアートっぽくて水府の駅前にある〈納豆像〉に比べたら百倍素敵である。

清水義範蕎麦ときしめん講談社は表題作や、これに収録される何本かのパスティーシュ作品は読んでゐて、今回は『商道をゆく』『三人の雀鬼』と『きしめんの逆襲』の三作を読む。『商道』は当然、司馬遼太郎で大変可笑しいが『三人の』は阿佐田哲也の麻雀物だがアタシは麻雀が全くわからないので面白いのだらうが珍紛漢紛。『逆襲』はつい『笑犬樓の逆襲』を想像してしまつたが当時はまだ筒井先生のこれは始まつてゐなかつた。

なぜ写真を撮るのか? それは写真を撮る行為は自分の過去と未来に深く関係してくる殆ど哲学的なアプローチであると言って良い。即ち言葉を変えれば自分とこの周囲を取り巻いているこの不可思議な現実と言うのは一体何であろうかと考えてそれを視神経によって記録していく知識の冒険である。#田中長徳