富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

マカオ立法会選挙の成功

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一昨日、マカオで立法会議会選挙。香港の新聞で党紙でもまともに扱ひもしないほどのネタを朝日新聞がきちんと報道してゐた。

(マカオ立法会選)民主派議員ゼロ 中国返還以降初めて:朝日新聞

◀こちらは昨日の澳門の親政府系(って他にはポルトガル語紙があるだけだが)の澳門日報。投票率の低さは立法会選挙が茶番で市民の関心が低いからではなくてコロナの影響なのださう。普段は感染対策の徹底と成功を誇らしげに口にしておいて選挙の盛り下がりはコロナの所為にするご都合主義。次回の立法会選挙がポストコロナで投票率がまた低かつたら今度は「澳門社会の安定で市民の憂ひが少なく」投票しない市民が少なくない、とでもするのだらう。マカオは香港に比べてもポルトガル直轄市の頃からの「たるさ」があつて政治的無関心が多い上に中国の珠海市と陸続きで変換前から中共中共資本が出しゃばってゐたことから中共色が濃く香港のやうな民主化運動の盛り上がりもなかつたが極少数の民主派がゐて一応、一党独裁ではないかたちをとつてゐたが今回の選挙では民主派一層で「マカオの安定」を誇る結果に。香港もマカオに続き来る立法会選挙ではかうした社会の安定を誇る結果になつてもらひたいもの。選挙は棄権もありだが白票を投じるといふ意思表明もあり。ただ白票なんて投じると勝手に御用候補者に✓印なんてつけられてしまふと困るので全候補者に✓印して無効票にでもするしかないのかしら。


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香港記者協会が「専業」性を無視して学生入会認めるオルグ活動を香港市役所の保安局長が非難と大公報。「いかなる団体も国安法に抵触すれば責任はとつてもらふ」。記協が学生会員制度をもつてゐるのは従前から。ジャーナリスト志望の学生に取材活動など経験を積ませるための便宜供与(会費がかなり割引とか優遇あり。一昨年の民主化運動のなかこの記者証をもつ学生が何人かゐて警察が身柄拘束に手古摺つたり政府や警察の記者会見に参加したりで面倒。当時もこの学生記者の扱ひで政府側は不満表明してゐたが国安法がある今はさらに強圧的に。記者協会は当然のやうに次の弾圧対象。この記事が党紙で1面トップとなつた今日、記者協会から「新年度(9月~)のメンバーシップ更新がまだの会員は更新を」とメールがメンバーのアタシにも届いた。アタシは几帳面なので8月末に更新手続きを済ませてゐたが香港記協のメンバーであるなんてことだけで今の香港では要注意人物でブラックリストだらう。

客室乗務員の誕生: 「おもてなし」化する日本社会 (岩波新書)

山口誠『客室乗務員の誕生: 「おもてなし」化する日本社会岩波新書

日本では1931(昭和6)年に東京航空輸送(相羽有が創業)が「空の女給」募集が最初で名称は「エアガール」だつたが当時流行のカフェの女給などが応募で「エロガール」と揶揄される始末。当時、東京羽田と伊豆下田機内服務員の採用は英国のダイムラー航空(BAの前身の一社)で、それに遅れることわずか9年。この時の英国では航空機で重さの負担を減らすため小柄の少年たちを採用といふ。米国では客船での接客からでスチュワートを採用。お稚児から野郎へ。で日本は女(をんな)。米国で女性の採用はユナイテッド航空(元々はボーイング社の旅客部門だつたが独占禁止法で分離独立でUAに)で機内での旅客の体調サポートもあり看護婦からの採用。東京航空輸送のエアガールは給与など冷遇で数名が集団退職して1936(昭和11)の再募集では「あんまりおカネにはならないからお白粉代かせぎの気持ちでなければお断りです」。当時は富裕層相手に羽田~軽井沢といふ航路のエアタクシー。日本の航路は国策に従ひ大陸へ。戦後。昭和27年に設立直後の日本航空機「もく星号」の伊豆大島三原山への墜落事故(乗客乗員37名全員死亡)は当時、日本航空ブランドでも実際はノースウエスト航空の機体と乗員。日本航空の国際線で和服による接待。着物の柄など自由だが必ず「菊」をあしらつた意匠が求められたといふ。エアホステスの時代。全日空ANA)のコードがNHなのは日本ヘリコプター輸送から。TBSのドラマ『アテンションプリーズ』も懐かしい。これの図案の筆箱をアタシももつてゐた。女性は結婚前で3年程度で退職するから、といふことで雇用継続してゐた男性の客室乗務員は女性より待遇よく人件費もかさみ採用中止(JAL)。昭和45年にJALB747機の就航で客室乗務員1年で1,000人採用に。「ディスカバージャパン」から「いい日旅立ち」まで鉄道を使つた国内での自分発見、日本発見のブーム。アンノン族は航路を選ばない。TBSテレビで『スチュワーデス物語』は昭和58年。「辞めない」スチュワーデスの増加。昭和63年にANAが客室乗務員の名称をキャビンアテンダント(CA)に。和製英語。フライトアテンダントやキャビンクルーといふ英語表現は定着せず。機内の「おもてなし」の商品化。「おもてなし」ナショナリズム。男性CAを主人公にしたドラマの誕生。