富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

鉢の木のくり蒸し羊羹

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支連会徹底壊滅で六四記念館も国安的には国家転覆活動の廉でガサ入れで展示資料等押収。支連会の活動に外国政府組織からの資金流入で意図的に動かされてゐたとか、百歩譲つて中共一党独裁反対といふ主張が国家転覆活動と見なされるのはまだわかるが「天安門事件の追悼」までが反政府的で国安に抵触といふ懸念とは。中共天安門事件追悼が事実、禁止されてゐるわけで、ぎりぎり「天安門の母」たちのやうな遺族の死者追悼だけが厳重な警戒のなか許容されてゐて、それと同じ認識が香港に適用された、といへばそれまで。さう思ふとかつての中国「国内で唯一、天安門事件追悼が許容される場所」であつた当時の香港の価値。結果論だが中共の治政下でぎりぎりの形であれ、あの自由を保守することの運動の方向性もあつたかも。いずれにせよ強制的に香港から中共の治政に邪魔なものがプラカード1枚まで消去されていく。まさにオーウェル的な世界。支連会の幹部は政体転覆を煽動したといふが香港での六四追悼活動は煽動などなくても市民のかなり主体的なもので市民デモもさうだが1回の行動あたり何十万の市民の意思があると思ふと政府がそれを抹消しやうとしてゐるのだから本当に大したもの。21世紀といふ時代にこんなことができるやうになるとは昭和のころ「人類の進歩と調和」を夢見てゐたアタシたちには想像もできないものだつた。21世紀になつて「人類は進歩もしないし調和もしない」ことはもはや明白なる事実。何も夢見てはいけないのかもしれない。

f:id:fookpaktsuen:20210910153809j:image9月に入ると新栗が出荷と聞く。茨城は笠間の栗の生産高は日本一。水府では南町4にある和菓子舗〈鉢の木〉の栗蒸し羊羹がこの時期から十二月初まで出る。今日が今年の発売。木曜が定休でもう先週から大忙しで拵えてゐるのだらう。鉢の木のこれが出ると水府では町中で話題になる。毎年これが出ると買つて決まつた知人に持ってゆく人も少なくない。
 皆みまち 鉢の木のくり むし羊羹
あっさりとした蒸し羊羹(それだけではおそらくものたりないくらゐのあっさりとした仕上がり)なので茹でた新栗の風味がとても引き立つ。子どもの頃から、これが出始めると、あゝ秋ももうすぐそこまで来てゐるな、と。

菊川武幸『東京・銀座 私の資生堂パーラー物語』(講談社

東京・銀座 私の資生堂パーラー物語

筆者は昭和35年に中学卒業していがぐり頭で資生堂パーラーの給仕見倣ひになり金ボタンの白い制服で給仕の道を歩み生え抜きで総支配人に。こんな本を書かれたのだから、もう引退で回顧録かと思ひきや出版は2002年で著者はまだ50代後半で当時はまだ現役(資生堂パーラーの広報担当)。各界の著名人に愛された資生堂パーラーで著者が修業に入つたころは、もう荷風の時代ではないが二階建ての店舗が資生堂会館の高層ビルになつた頃で正太郎、無声やデコちゃんが訪れ著者が最も懐かしく思ひ感謝するのは勘三郎XVIIである。中村屋は月に4、5回は資生堂パーラーに食事する常連。久里子の話では毎週土曜は家族で銀座に来てサヱグサで洋服、キンタロウで玩具を買つてもらひ資生堂パーラーでの食事の三点セットがとても楽しみだつたといふ。まず中村屋の番頭が電話してきて菊川が電話に出ると大旦那に電話口をかはり本人から「何時に行くから」と告げられ本当に可愛がつてもらつたといふ。麹町のマンションや小日向の中村邸にも招かれ一給仕を「たけちゃん」と親しくつきあつてくれたのださう。菊川少年が働き始めたころ中村屋はもう半百なのだから父親より年上の伯父さまが、である。さういふ鷹揚な時代だつたのだらう。もう一つこの本で面白いエピソードは沖縄海洋博で資生堂パーラーが住友館にVIPレストランとして出店したときのこと。大阪万博ぢゃないからVIPが連日続々と訪れる博覧会でもなくVIPレストランなど集客も困難なところで菊川の半年に及ぶアイデア勝負が面白い。場所柄、新橋芸者のお姐さん方のエピソードも。この内容からし資生堂のPR誌か『銀座百点』にでも連載されたものかと思つたら講談社で書き下ろしでした。