富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

足尾から日光へ


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香港の六四運動を主導してきた香港市民支援愛国民主運動連合会(支連会)が政府の要求する組織内部資料の提出を正式に拒否発表。中連弁は香港政府の国安警察当局が支連会の不正徹底追及支持を堅決(大公報)。支連会側は今回の政府からの要求につき違憲審査を求めるとしてゐるが香港の司法でかうした案件で真っ当で公正な審査がされるはずもなし。

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本日農暦七月晦日青春18きっぷの期限が10日(今週金曜)で残り2回あつたので家人と早朝の水戸線で小山。両毛線で桐生に向かふ。茨城県内は高校がリモート授業で高校生の通学がないが小山に近づくにつれ下館、結城から栃木の高校に通ふ学生たちが乗つてきて両毛線は小山から足利に通ふ高校生でかなりの混雑。足利はやはり高校が多いのか。足利を過ぎると両毛線はまだ通勤時間のはずがガラ空きで、その列車の終点・桐生までの乗客は数へるほど。桐生駅前も驚くほど閑散。

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わたらせ渓谷鉄道に乗るのが今日の目的の一つ。1989年に足尾線が廃止で私営化されJRの青春18きっぷは使へない。緊急事態宣言で観光列車は12日まで運行中止となつてゐるが桐生を08:54発は1両編成で「トロッコわっしー列車」で2号車のWKT-510形気動車が使はれてゐた。

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桐生を出た列車の乗客は我々と高校生が1人。その高校生が下りて区間乗車の住民が1人。途中で鉄ちゃんらしい二人組が乗つてきたが「駅鉄」らしくすぐに次の駅舎のきれいな駅に到着すると降りていつた。結局、足尾(通洞)まで乗つてゐたのは我々2人だつた。途中で急にブレーキがきいて列車が止まり何事かと思へば「線路上、先方に鹿がゐるため停止しました」。

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途中で雨がかなり強まつたが渡良瀬川の渓流の風景を楽しむには雨もまた味はひふかいものあり。観光シーズンであればかなりの賑はひとなるのだらう。8月末の平日でしかも疫禍とあつてはひっそりは当然か。本当ならトロッコ列車で終点の間藤まで行く予定だつた。宮脇俊三の鉄道随筆が好きだつた鉄道少年としては。それが今日のこの列車で間藤まで行くと日光行きの路線バスの時間まで1時間。何もない間藤より2駅手前の通洞で降りた方がよいかと予定変更したのだが足尾銅山関連の史跡なども緊急事態宣言で閉鎖中。ひっそりとした、宅急便配達のトラックだけが走つてゐた足尾の街道沿ひの宿場町。ハガキを出すのに足尾郵便局に寄つたら大雨で駅まで戻らなくてもちょうど郵便局前のバス停があるので郵便局の職員が「傘ありますか、バスならバスの時間までこゝで休んでゐてください」と言つてくれてお言葉に甘える。

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この行程を組んだとき足尾から日光までバス路線があるのは知つてゐたが日光市営バスださうで日光の市営バスが越境で足尾まで走つてゐるのかと思つたら足尾(市)が日光市になつてゐたとは。今年の4月に日光に遊んだとき今市市も消滅してゐて日光市になり日光市役所が今市に移つてゐたのには驚いたが(昨日に続き県サイズの白地図を使へば)日光市が栃木県でどれだけ広いかがよくわかる。小山の下、栃木県最南の野木町が頑なに合併してゐない。東北本線沿線で「栃木で最も東京に近い」のだから(人口24千人)。

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足尾からの市営バスは雨のなか国道122号線を上り長い日足トンネルに入る。このトンネルができるまで122号線の山越えは地図の旧道を見ると日光のイロハ坂より怖い、険しいものだつたやう。清滝で中禅寺湖からイロハ坂下の120号線と合流して日光へ。金谷ホテルの坂の途中にある「みはし」でビフテキでランチ。つい習慣で「グラスで赤ワイン」と頼んでしまひ「すみません、お酒の提供は」と給仕にいはれ「あ、認識不足」。気温は摂氏15度ほど。寒いくらゐ。さすが日光で上鉢石町のあたりは少しの観光客はゐたものだが東武、JRとも駅のあたりはひっそりとしたもの。JRの日光駅が内装までずいぶんと格式めいたものに改修されてゐた(これは沿線の駅のホームの案内板も宇都宮駅のホームまで同じ意匠)。東武日光線には乗つたことがあつたがJRの日光線に乗るのは初めて。空は青空。宇都宮から小山までの東北本線も考へてみると(東北新幹線の利用はあつても)下手すると昭和以来初かもしれない。仙台周辺は別として栃木なんて在来線は新幹線開業前の特急ひばり以来かも。

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孤呂奈が騒がなければ宇都宮でゆっくり餃子でも食べて帰つてきたのだらうがさっさと水府に午後6時前に戻る。外食ももうラストオーダー気にして食事も落ちつかないわけで駅ビルの食品売り場で寿司のテイクアウト。ちまちました下手な握り一人前より「マグロづくし」と「貝づくし」(合せて2千円)で家人とシェアしてとても満足。