富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

感謝中央支持


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中国全国運動会の2025年大会開催地が広東省・香港とマカオの大湾区に決定。この運動会は1959年に第1回大会が北京で開催され1965年の第2回大会のあと文革で1975年まで開催されず。その後4年毎の開催となつたが1987年大会のあと91年大会は天安門事件の余波で開催されず93年にずれ込み、それ以降4年毎に開催。これまで13回実施され首都の北京5回、直轄市では上海2回と天津1回で省では広東が2回で江蘇、山東遼寧が各1回。今年が陜西省(西安)。国内の運動会でこれまで香港は1997年の上海大会(第8回)から選手団送つてきたが、あくまで国内の運動会。それが香港とマカオではなく「広東省+」なのが如何に政治的判断か。リンテイ市長は「感謝中央支持」と涙。かうした取り組みでますます大陸と香港の距離が近づき一体化するだらう。

明報一面トップはこれ。 香港の民主派議員「愛国」審査で失格:朝日新聞

審査委トップの政務長官・李家超が「目を凝らして」似非愛国者を排除と宣つた選挙人選出選考で民主派「熱血公民」に所属する鄭松泰・立法会議員ら2人失格に。比較的穏健派で香港警察に逮捕もされず立法会議員職に留まつてゐた鄭君だつたが、この審査で失格したことで立法会議員資格も剥奪。立法会議会で抗議の際に「中国国旗と香港の小旗をひっくり返した」といふ些細なことまで問題視。今回の審査では審査委が香港の国家安全当局(中央政府直轄)の意見参考に立候補資格の失格を決めたと明言。これもリンテイ市長なら香港の社会安定のために「非常感謝中央政府!」か。

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水戸の市街と寺社の配置について。『概説水戸市史』に明治7年の水戸上下市街略図といふ地図あり。旧市街の範囲と寺社の位置が見やすい。水戸の旧市街はこの明治初期の地図で東西の赤線の内側と南に延びる台町の街道筋。寺社は見事に旧市街の外。ご城下の旧市街は中央に東照宮があるだけで西北にある八幡神社もかつてはご城下の出見(田見)小路にあったが辺境に遷され、信願寺も市中から常磐村に。徹底した義公の社寺整理によるもの。かつては市中に寺社少なからず。郷土史j君によれば桜町は寺が移転した後にシダレザクラヤマザクラの古木が残つて桜町。藤柄町は「富士柄」で富士浅間信仰の修験者の棲んだ場所。藤沢小路は藤沢の清浄光寺が戦国期に一時疎開先だつたゆゑ。殊に田見小路から八幡町の手前まで寺町といふ地名ある通り寺社が並んでゐたといふ。この義公の寺社整理は義公の徹底した宗教政策が理由なのではなく水戸藩で家臣団の漸増と市街化の進行にともなひ武家地不足となり水戸の狭い台地(上の地図でもわかる那珂川千波湖に挟まれた東西にのびる狭い台地)では土地も限られ社寺地遷移で補つた側面もあり。お盆を新暦でやる神崎寺や祇園寺など水府の西に集中しているのも興味深い。

大阪市長の維新松井に「平凡な校長」直訴で市役所から文書勧告受けた久保敬・大阪市立木川南小校長:朝日新聞

教育には本来「社会をよくする」という役割があるはず。今の学校教育は競争社会で勝てる、経済的に役立つ人間を生み出すことが目的になってしまっている。だが競争社会の問題点を考えたり社会のあり方を問うたりすることこそ教育の役割だ。

なんだか学校がおかしいことになってるぞ、ということは、もう20年近く前から感じてはいた。なにかに追われ続けているうちに子どもも先生も余裕がなくなり現場では『一人ひとりの子どもの育ち』ということは後回しに。気がつくと『いまの時代の子どもじゃなくてよかった』と思っている自分がいた。

20年前……結局、新自由主義が小学校教育に入つてきたあたりからおかしくなつた。

神里達博「豪雨・コロナ禍…無力感の夏 「モダン」の生き方は棚卸しを」朝日新聞

生息域を徹底的に拡大しつつ約80億にまで個体数が増えた「長距離移動を頻繁に繰り返す大型哺乳類」の生態に対し上手に適応したウイルスが登場したと捉えるのが「自然な」理解なのかもしれない。

異常気象、感染症、戦争と私たちが慣れ親しんできたこの近代という時代の生き方、いわば「モダンの作法」が通用しなくなったようにも見えるのだ。そろそろ本当に色々な点でモダンは続行不可能になってきているのかもしれない。

短期間に次々と変異株が登場するのも結局、感染者の数が多すぎるためである。このウイルスはヒトの細胞の中でしか変異しないからだ。

福岡伸一ドリトル先生ガラパゴスを救う』(第110回)朝日新聞より

全く人間というものはおろかですね。力を合わせて大きな敵と戦わなくてはならないのに、その前に仲間割れを起こして大きな敵以上に仲間うちを憎むようになってしまうのです。