富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

中元で盂蘭盆會

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陋宅には仏壇も神棚もない。信心が全くないわけでもないが一木一草、家の諸処に死者を身近に感じてゐてもよいかもしれない。よつて神棚や仏壇はゐらないかもしれない。岡本寺のはがきで「有朋自遠方来……*1」の説法が、この「遠方」を成程、幽明の境を隔てた遥か遠くから、といはれると奥深い。朝五時に目覚めて薄茶一服。本日は農暦七月一五日、中元で盂蘭盆。香港ではこのお盆を前に昨晩だと霊の招き火があちこちで燃やされてゐたもの。この盆を過ぎればもう夏も終はりで秋めいてくる。

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ある場所で七夕にむけ子どもたちが願いことを短冊に書いて笹の葉に結んだりしてゐたが新暦で七夕が済むと七夕の「ディスプレイ」をさっさと処分して短冊も捨てようとしてゐたので「ちょっと待った!」で短冊を預からせてもらひ本当の七夕(陰暦)が済んだらちゃんと神社にでも納めることに。陰暦の七夕が先週末だったので今日、水戸の八幡神社に短冊を納めた。皆さんの願いことが叶ひますやうに。後で郷里史家J君から水府で七夕といへば義公に乞巧奠(キカウデン)の言ひ伝へあり義公祀る常磐神社の星祭では?と。

実は光圀公にとっての七夕、重要な日なのです。
正保4(1649)年、二十歳となった光圀公は旧暦7月7日に「星夕奉天孫詩并序」という漢詩を書き「余今年すでに弱冠、しかるに学未だ成るを得ず。伏して願わくは、ニ星(牽牛・織女のこと)、神を現じ霊を発し、丹誠上達し瑞祥下降して、遂に閎才を闔国に露はし、文章を異境に揮はん…」と織姫彦星に学問成就を祈っているのです。
もともと七夕は乞巧奠会(きっこうてんえ)という中国から伝来した「技芸上達」を天に願う儀式。そのことを踏まえて光圀公も学業成就を天に願ったのでしょう。
たてぬきに雨のいともて七夕のをるやをりそのあまの羽衣(義公『常山詠草』756)

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本日陰暦七月一五日。中元。盂蘭盆會。神崎寺に掃墓。さすがに琉球ぢゃないから陰暦の旧盆は墓地も閑散。新盆は東京が主で水戸では周辺は月遅れのお盆なのに旧市にある(あつた)お寺さんばかりが新暦。母に聞いた新暦でのお盆のお寺は陋宅で戦前まで住んでゐた裡信願寺通りの由来の信願寺、菩提寺の神崎寺、神應寺、高校の隣の祇園寺、谷中の光台寺に本行寺と旧市街で上市(うわいち)に西にあるお寺(下の地図の赤星印)ばかり。お寺の多い市の南部は当時は櫻川の低地の向かふの高台、旧千波村に旧吉田村である。

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水戸は江戸時代に城下の寺が郊外にかなり遷されご城下の旧市中心部(下の地図で黄色一帯)には寺が殆どどころか全くないといつてよい。義公は当時の寺社僧侶の不謹慎に憤り藩士には常盤、吉田の両親共同墓地を設営もしてゐる。旧市街に「信願寺町」があつてもお寺は江戸期に隣の常盤村に。小学生のとき京都や奈良で中心部に大きなお寺が建立されてゐて東北を旅行して弘前など古い都市にお寺が市中に、それもお城近くに並ぶ寺町があるのが不思議に思へたほど。

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お昼は千波村にある「えるびす」でスタミナラーメン啜る。酒のやまや千波店へゆく横道の途中にあるので以前から気になつてゐたラーメンやで所謂きたなシュラン系で小上がりは床がベタベタしてゐて座布団もちょっと遠慮したい感じだけど美味ければ良い。猛暑のなか冷房もなしで汗だくであんかけのスタミナラーメンを啜る。太麺で甘塩っぱい味は嫌ひぢゃない。一見無愛想さうな親方も客にとても親切で好感度高い。スポーツ新聞眺めると今日の札幌記念はソダシとラヴズオンリーユーの一騎打ちで、まだソダシに信頼置けずラヴズにしたらソダシ序盤から王道を行くやうに立派な走りでラヴズの追ひ上げを躱す。

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◀︎アマゾンで入つてくる商品広告でブラックベリーのこのスマホを見たときにフェイクか冗談かと思ったが正規品。まだ「実体としてのキーボード」にこゝまでの需要があるのか。昔、iPhoneはチャラくてブラックベリーを使つてゐると「あの人は仕事ができる人だ」と国際派のビジネスパーソン御用達みたいな印象があつたものだつた。▶︎アマゾンといへば「のし新聞」にも驚いた。たっぷり15kgの未使用の新聞紙が1,965円。ペット飼育の中敷きださうだが子どもが図工で古新聞を持つてくるやうに言はれて新聞を購読してゐないので慌てゝコンビニで新聞を買つて持たせた、といふ話もあり。新聞が読まれぬやうになり、それでも新聞紙に需要ありとはあまりにも皮肉。

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アフガニスタンの現状を見開きの紙面で報じる明報。香港の新聞は本当にかうした視覚的効果も含めた紙面づくりが上手い。その上、和文に比べ漢文は緻密で情報量は文字数が濃厚。フライトレーダーで見てゐるとアフガニスタン上空は民間機がないぶんぽっかりとエアポケットのやう。そのなかでカブールへ、カブールからいつも数機の米英空軍機が飛んでゐてペルシャ湾の基地と結ばれてゐる。アフガニスタンにとつての唯一の海外との動線

アフガニスタンで米軍機から落下は10代のサッカー選手 | ハフポスト

命がけで米軍機にしがみついて……007やミッションインポッシブルの映画でなら成功する脱出も現実には命をかけても悲劇しかない。

🗞中島岳志「五輪が示した衰退しファシズム化する日本」毎日新聞

なんてもはやアトもない絶望ななかにあたしたちはゐるのかしら。

この間の緊急事態宣言は明確な基準よりも「これはまずいのではないか」「そろそろいいんじゃないか」といった為政者の主観で出たり解除されたりを繰り返してきた。国民が「緊急事態」に慣れて宣言の効果はあがらない。おかげで野党支持者の側から「より強い措置」たとえばロックダウンを求める声が出ている。かつて1938年の国家総動員法に最も前のめりで40年の大政翼賛会結成を真っ先に支持したのが当時の左派政党、社会大衆党だったことを連想する。
今回、日本のうみが徹底してさらけ出された。うみを隠す力さえも失われていると示した。これでよかったのだと思う。これからは国際的にさらした醜態を後につなげるだけだ。坂口安吾の「堕落論」にならえば「堕ちる道を堕ちきる」ほかない。堕ちきった先で自分たちの姿を直視し歩み直すしかない。

*1:「また楽しからずや」は「楽しくない」と否定ではなく「不亦……乎」で「楽しくないはずがないだらう」といふ反語なのだと高校の時に古典で教はつて、さういふことはいつまでも忘れないもの。