富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

いわさきちひろ展@茨城県近代美術館


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東京五輪開会式翌日で中国が3金と欣喜の大公報。明報はフェンシング女子で香港選手が8強でも香港隊のフェンシングではこれまでで最高成績と褒めて、その下にある記事が良い:今回のメダルケースで北海道の津別にある木工製作所による見事な工芸品だが、この製作所に香港人の職人がゐて厳寒のなか優れた木工品製作に携はつてゐるといふ。

「やはり」だが今更もう米国でも関心は五輪ではないのかもしれない。膨大な放映料を払つてもこれぢゃもうモトがとれない。開会式の内容も詰まらないものだつたが。IOCももう豪遊の日々はこれでお終ひしてくれ。

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茨城県近代美術館で昨日より「いさわきちひろ展」開催(こちら)。子どもの頃に『こどものせかい』だつたか絵本雑誌をとつてくれてゐて、それにちひろの絵があつて『あめのひのおるすばん』とか新刊でも何冊か家にあつたのは母がいわさきちひろが好きで妹にまで揃へてあげてゐたから。母もワクチン接種も2度済んで副作用もなかつたやうで多少お出かけも世間さまの目を気にしなくてもよいかしら。で家人と三人で近代美術館へ。

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公立の美術館での展示が憲法であつたり政治的色彩とかで何かと不自由さを感じる時代だが今回の展示はいわさきちひろといふ稀有の絵本画家の生涯を丁寧に紹介。

ちひろの昭和 (らんぷの本)

アタシは『わたしがちいさかったときに』(1967年)や『戦火のなかの子どもたち』(1973年)に強い印象があつて高校生の時だつたか上井草のちひろ美術館を訪れ、なんで日共のチラシばかりか松本善明のポスターとかこんなに堂々と貼つてあるのかしら?と不思議に思つたほどで当時、ちひろの戦後の人民新聞記者の時代からのこと、旦那が松本善明であることなど全く知らなかつた。今回の展示では戦後の日比谷でのメーデーのデッサンであつたりライオン油脂工場の女工たちの働く姿であつたりちひろのあまりに見事なデッサンの筆の冴へに驚くほど。会期中にあと1、2度は再訪したいところ。この『ちひろの昭和河出書房新社といふ本は、さうしたちひろの55年で他界してしまつた生涯をきちんと紹介してゐる良書。時代はリベラルになるどころか、もしちひろが今の時代に生きてゐたら左傾の画家でむしろ色眼鏡で見られてゐたかもしれない。小学校の国語の教科書とかに今でもちひろの絵は表紙や物語に採用されてゐるのかしら。

土用の丑で母に「鰻をご馳走するから」といはれて内原のうなぎの斎藤へ。鰻の名店が多い水戸でも人気の鰻やで1時間待ちも覚悟だが今ではネット予約も可(たゞし1人あたり1,000円のチャージ)。それでもサービスで飲み物が1つつくといふので自動車の運転は家人にお願ひして彼女は生まれて初めてのノンアル麦酒でアタシも母も暑さ猛々しいなか麦酒も美味い。こちらはアサヒスーパードライで自分ではふだん絶対に飲まないのだが鰻には意外と合ふ。

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十六夜の月
【いさよひ】いざよふこと。進もうとして進まないこと。ためらうこと。万葉集「青嶺(あおね)ろにたなびく雲の―に」
陰暦16日の月は十五夜の月よりもおそく、ためらふやうにして出てくるのでいふ。既望。源氏物語(末摘花)「もろともに大内山は出でつれど入るかた見せぬ―」
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