暴徒による警官傷害事件(1日)はテロを美化する風潮で香港全体に責任があると市役所。蘋果日報など反政府運動を鼓舞するメディア、それを容認する社会。香港市役所の治安トップはさかんに「本土恐怖襲擊」といふのだが
①政治目的のために、暴力あるいはその脅威に訴える傾向。また、その行為。暴力主義。テロ。
②恐怖政治。
から見れば香港は②が①を懸命に非難してゐることになる。それでも沈旭暉先生などは民間人ではなく警官を対象とした攻撃はテロには当てはまらないといふ定義をしてゐる。無差別テロなどがそれで政権や軍隊や警察など執法要員を対象とした場合は反政府活動であるとかアナーキズムでありテロリズムではないとする*2。これは
テロリズム[terrorism] (新明解国語辞典)
政見の異なる相手、特に政府の高官や反対党の首領を暗殺したりして、自己の主張を通そうとする行為(を是認する主義)。
といふ定義からは外れるところ、軍隊や警察は合法的であれ暴力装置なのであるから暴力装置に対する暴力行使は確かにテロリズムとはいひ難いだらう。それでもかうした認識は政治家でも与謝野馨先生くらゐなら理解できても香港市役所の治安担当の小役人に理解できるものではない。たゞのマジな「怖れ」で中央政府の後ろ盾だけが頼りなのだから。
香港で中共「百年偉業」展開催。当然のやうに六四の天安門事件には一切触れもせず、それでゐて反修例風暴はきちんと否定的に描き警察を慰労し国安法施行を評価は忘れない。それは中共の「百年偉業」と関係ないやうだが香港成敗はやはり国内の安定にとつて大切なことか。それにしても、この開幕式典に林鄭市長に加へ律政司の鄭某女が出て「香港市民可了解中共为実现中华民族伟大复兴所作的努力」なんて中共をヨイショするのだから困つたもの(この鄭某女は倫敦で香港民主派のテロ遭遇を中共に保護されて中央政府のありがたさ実感か)。
本日農暦五月廿五日。梅雨の雨空。
お話は大津良夫・水戸芸術館副館長と堀傳・本日水戸室内管弦楽団長のお二人。本日は2回連続の後半で伯林、ミュンヘン、維納から巴里への吉田秀和の旅の思ひ出を語る。大津氏はあの気むづかしさうな秀和先生に可愛がられ水戸に来館の際は鎌倉まで自動車運転しての送迎、普通の人には鎌倉から水戸まで秀和先生を乗せて、秀和先生の話につきあいながら……なんて想像しただけでも緊張で胃が痛くなりさうだが秀和先生は茶目っ気もあり、ふと思ひ出したのは久ヶ原T君が初台でだつたか幕間にロビーのバーコーナーで秀和先生にバースタンドで遭遇、そのとき先生は珈琲の砂糖の入れ方を間違へたんだつたか目の前のT君と目が合ふと「てへっ」と照れ笑ひされたとか、少年の心をいつまでも持ち続けた秀和さんなのだらうが、やはり厳しい面はきちんとある方だし、その先生と大津さんは9回だつたかも渡欧の旅にご一緒してゐるのだといふ。水戸室内管弦楽団のツアーもあれば吉田夫妻の個人的な旅行にまで同行。本当に仲良くされたのだが大津氏は元々、水戸市の職員でご本人曰くオケの楽器の名前もわからないほどの自分が、だつたさう。維納フィルの楽団員で小澤征爾を介して水戸室内にも頻繁に参加したティムパニ奏者・ローランド=アルトマン(訃報)の思ひ出話からブラームスの1番、これはレナード=バーンスタイン指揮の維納フィルから第1楽章、そして水戸室内でベートーヴェンの4番、こちらは小澤征爾指揮で水戸室内が流れる。水戸室内の欧州ツアーのときは小澤征爾さんの体調不良で、この時は吉田先生はリハにも見えられて最初は遠くで聞いてゐたが段々とステージ近くにより「僕なら……と思ふ」と団員にアドヴァイスされてゐたといふ(大津氏撮影の画像もあり)。ミュンヘン郊外の何とかといふ集落での滞在。R.シュトラウスの「4つの最後の歌」からディアナ=ダムラウ独唱をミュンヘンでのライブ録音で。そして巴里。大津さんが秀和先生にドイツ語、フランス語に英語が堪能ですがどの言語が一番好きですか?と尋ねたら(こんな質問だつてできない、普通……)「君、ぼくはかう見えても東大仏文科卒なんだよ」と、やはり秀和先生は巴里に赴ふととても楽しさう。ラヴェルの「マ・メール・ロワ」。巴里での常宿はヴァンドーム広場(Place Vendôme)近くで「音楽展望」の連載もしてゐた朝日新聞の巴里支局も近くにあり冨永格氏が支局長のころなのだが音楽会のチケットをとつておいてもらつたりもしたといふ。大津氏曰く、戦後、子どものための音楽教室を開き、それが桐朋学園となり、まさに小澤征爾といふ指揮者はその吉田先生の音楽教育の賜物で、秀和先生が水戸芸術館の館長になることが決まり水戸室内といふ丁度よいサイズの室内楽団を小澤征爾に任せる……といふ何ともすてきな経過。吉田秀和全集、全24巻の最後は水戸芸術館を設へた佐川一信・水戸市長への追悼の文章だつた、と大津さんの話を聞いて、さう思ひ出す。また水戸といへば先日亡くなつた立花隆さんと、そして丸谷才一さんにも大津さんの話は及ぶ。
私は吉田秀和の音楽評論の文章に感銘し貧乏なのに当時1,000円もするレコードを買った。文章が持つ『人を動かす力』を味わったことが、いつか自分も人を動かす文章を書きたいという気持ちにさせた。
人々に(天然痘の)種痘を行ってもよいのか。ワクチンというものを初めて手にした江戸時代の医師たちは激しく議論しています。ただ、推進派も反対派も「副反応によって身体や命を傷つける行為は絶対に許されない」と考える点は共通していました。背景には天命という価値観があったようです。寿命は天から定められたのだから、たとえ100人に1人であろうと「予防接種という人為的な行為によって傷つけてはいけない」との考えです。しかし明治期に入ると異なる見方が広がりました。種痘は国家の所管事業になり国民の義務とされていく。社会防衛的な意味を持つ「衛生」という考え方が西欧から導入されたのです。
▼香港で蘋果日報と同じ壹媒体の週刊誌に『飲食男女』あり。「食在香港」で広東料理に限らず中華ばかりか香港にある世界中の料理を、そして高級食材から街中の屋台まで徹底した取材力で毎週紹介し続けた。週刊誌だつたが過去データもネット上にあるので香港食文化の資料としてもかなり重要であつたが香港の壹媒体のネット掲載が一切なくなつてしまつて、この『飲食男女』のデータも全く見られなくなつてしまつた。アタシも確か2010〜17くらゐの特集記事の切り抜きはまとめてファイリングあり。
*2:西方學界普遍認同「恐怖主義」為的是製造恐慌,去達到弘揚任何形式的理念或目的,而製造恐慌是通過在公眾層面,針對的是平民,而且沒有規則可言(無差別襲擊)。假如針對的是政權、代表政權的政府機構、或執法人員,那可以是「反政府」、可以是「無政府主義」(例如19世紀暗殺俄羅斯沙皇的無政府主義者),但不是「恐怖主義」。中國近年有甚麼爭議就推聯合國出來,那聯合國是怎樣定義的?聯合國的定義,和中國自家定義包括在「三股勢力」之內的「恐怖主義」,又有何不同?......
*3:途中、震度2程度の地震があつたが、この磯崎新設計のコンサートホールはホール内にも太い円柱が3本あつて、その配置は個人的には好きぢゃないのだが、ことのほか地震には強靭なことは体感できた