富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

東京五輪まであと32日


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大公報が宿敵蘋果日報の苦境ほど愉快なことはないだらう。1面から見開き裏表を費やしての蘋果日報26年のデマ報道と書き立てる。お見事としかいへない執拗さ。停刊が噂される蘋果日報は1面トップで「民陣が初めて71デモ主催せず」と報じる。香港返還の記念日が香港にとつては大型デモの日となり2003年50万人デモから反逆権運動が始まつた。そもそも董建華市長の行政能力のダメさに市民が怒つたもので当時の中共は大陸からの香港旅行緩和(自由行)や積極的な香港投資で市民の怒りを鎮静化しようと努めることになつた。当時は一国両制で市民の怒りが直接、中央政府に向かふとはまだ思はれてゐなかつた。大公報は香港でのワクチン接種拡大のための抽選を楽しさうに報じる。


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阿古真里『日本外食全史亜紀書房を読む。といつても大著でさーっと目を通しただけだが。これは手元に置いて何かのたびに関心のあるカ所を読めば良い。非常に精緻な索引と大量の引用文献のインデックスも重宝。「外食」についてのメディアの役割、大阪万博からチェーン店拡大、バブルとイタメシ、一億総グルメ、フードツーリズム、和食の歴史、居酒屋、一膳飯やや残飯屋、定食屋から子ども食堂までの食事処の歴史、蕎麦や寿司など江戸からのファーストフード、肉料理、カレーやエビフライ、スパゲッティなど定番洋食の普及、ファミレス、辻静雄、フランス料理や意太利料理の本格化、中国料理とアジア飯……と本当に日本の外食の全史。

  • 江戸は独身男性の圧倒的多数。町人の家は長屋で狭く火を起こすのも大変で外食需要あり。煮売茶屋から飯屋へ。
  • 675年、天武天皇による最初の肉食禁止令。仏教思想の影響? 肉食禁止は4〜9月で「肉食を抑制することによる稲作の奨励」(原田信男『和食とは何か』より)
  • 日本マクドナルド藤田田の「田」といふ珍しい名前はクリスチャンの母が「口の中に十字架が入っている」なら神に守られると名付けた名前。藤田田キリスト教よりもユダヤの恩恵を得ることになるのだが。

へぇ……!と面白い話が盛りたくさん。池袋の「珍味」は台湾独立派の史明が営んだ中華料理屋で餃子が評判だが台独派で餃子といふから史明先生は台湾で国民党で台湾に乗り込んできた外省人、おそらく山東出身の軍属上がりからでも餃子づくりを知つたのか、とアタシはてっきり思つてゐたが実は史明が早稲田に留学して左傾、1942年に上海に渡り中共の地下工作に加はり粉物の料理は1945年の冬に北京の「狗不理」で学んだものなのだといふから、そりゃ正宗。折角の充実した内容だが一つ残念なのは書き急いだまゝか筆者のクセなのか(編集者はなぜそれをそのまゝにしたのか)係結びや句読点の打ち方などで読みづらいセンテンスが散見されること。

  • 「戦火を避けて二年前に結婚した日本人の早苗と、盛岡へ疎開する」は「戦火を避けて」は「二年前に結婚した」に係るやうだが実は「戦火を避けて盛岡へ疎開」。これは「二年前に結婚した日本人の早苗と戦火を避けて盛岡へ疎開する」とすべき。
  • 「一八六五(慶応元)年にオランダ人医師、ボードインを、診察してもらった鍋島直正がもてなすために頼んだ料理」は句読点が不要に多すぎ。「一八六五(慶応元)年にオランダ人医師のボードインに診察してもらった鍋島直正がお礼にとボードインをもてなすために頼んだ料理」くらゐ少し丁寧で良い。
  • 「立ち寄った宿舎で頼まれ、お偉方に料理をしていたら乗る予定に間に合わなかった輸送船が撃沈され、命拾いしたこともあった」といふ帝国ホテルの村上信夫の従軍中の話も「AたらB」はAといふ行為の結果Bなので、そのBがさらに係つた先の語句(輸送船)が主語になり「撃沈され」はやゝこしい。「立ち寄った宿舎で頼まれてお偉方に料理をすることになり、乗る予定だった輸送船に間に合わなかったが、その輸送船は撃沈され命拾いしたこともあった」と、これも少し丁寧にすれば読み易い。

……と、大著に重箱の隅をつゝくやうで失礼だがこれだけの全史だからこそ歴史に残るものなので著者はこれだけのものを纏めるのが精一杯だとしたら編集者が丁寧に仕事をするべきであつただらう。

日本外食全史

先週3回通つた接骨院で施術がしつかりしてゐるし右肩から腕の痛みもだいぶ改善されて今日も家人と通院。すつかり老人……で今日ワクチン接種の予約案内が郵便で届いた。接骨院は水戸の西の郊外にゐたのに突然トンカツが食べたくなつて水府でトンカツといへば水戸駅南の「よしえ」。

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ご亭主が高齢で体調もあり一時、店を閉めてゐたと聞いたが再開のやう。それでも店内には創業から49年でご亭主の健康を考へながらできる範囲で営業存続と張り紙が。営業は平日のお昼だけでメニューはロースかつ、生姜焼きと朝鮮焼きのみ。とんかつは定食で1,250円でじつに美味しい。いつも朝鮮焼き、これはスタミナ焼きみたいなものだが(ってそれも水戸のソウルフードか)これもこの食肆の看板メニューで一度挑戦しようと思ひつゝいつもトンカツの誘惑に負けてしまふ。 


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水府で豆腐といへば水戸芸術館近くにあつた「三浦」だつたがもうしばらく前に店終ひしてしまひ芸術館といへば吉田秀和・初代館長だが館長が水戸に来ると仲良くされたY氏(水戸室内管弦楽団サントリーホールでの演奏会で平成天皇皇后の天覧あつた時のご陪席もY氏夫妻であつた)がご自宅に招き決まつて湯豆腐は県歴史館近くの「橋詰」といふ店の豆腐であつたやう。美味しい豆腐が食べたいといつも思つてゐるが今日は水戸の郊外・旧酒門村にある巨大ホームセンター(山新)への抜け道で「菊池」といふ豆腐やが直観でピン!ときて(だいたいにしてこんな不便なところで豆腐やだなんて)もめん豆腐を求めたら、これが正解。昼がとんかつだつたので夜はこれだけ。また上水戸の旧水高近くにギリシア食材のノスティミア(こちら)もやつと寄る機会を得たが、こちらも小さいながらステキなお店であつた。
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