富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

東京五輪まであと46日


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ワクチン接種してゐない家族三人で変種株感染あり「だからワクチン接種せよ」と大公報。中国の民主運動活動家・李旺陽逝去から9年。李の妹が香港の六四運動に感謝と蘋果日報。李旺陽は当局の度重なる厳しい取り調べと身柄拘束で気が狂つてしまひ中国での民主化運動で犠牲者の象徴のやう。

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いつも「さてお昼はどこかで何を食べようか」しかさゝやかな愉しみのない疫禍の日々。今日は水府は浜田にある「そばまさ」といふ蕎麦屋に初めて寄つてみたがアトで、このお蕎麦やはかつて柳町にあつて(そこが今の「むじゃき」といふラーメン屋)当時、食べたことがあつたとわかる。


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個室の奥で若い人が蕎麦打ち前の準備でそば粉を丁寧に篩にかけてゐるのだが、それだけでも禅寺のやう。静かにジャズが流れてゐるがなぜ手打ちそばやはジャズなのだらう。それもコルトレーンとか地味なところではマル=ウォルドロンなんかがけして珍しくない。蕎麦をねかせるときにジャズがいいとか?のはずもない。よく考へると蕎麦やに限らずカフェでも美容室でも静かで落ち着いた空間のBGMはジャズが定番か。
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もうこれ以上、余計なものを削ぎ落しやうのない十割そばをせいろでいたゞいた。本当ならかういふ蕎麦やでお酒を少しいたゞいて蕎麦にしたいが疫禍でさうにもいかない。東京五輪中止までは外飲み断ちである。

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髭が数えられる本数くらゐしか生えないので髭剃りといふ習慣がなく、たまに顔剃りにジレット2枚刃のを使つてゐたが香港からの引っ越しでだいぶ草臥れてゐたシェーバー本体は処分して替刃だけ残つてゐてシェーバー本体を買ひ求めようとしたら今は5枚刃なんてものまで登場してジレットの2枚刃は替刃こそ辛うじて売られてゐるものゝ本体は2012年で生産終了。

シック SCHICK スーパーII プラスX ホルダー 替刃2コ付

SCHICK スーパーII プラスX ホルダー 替刃2コ付

  • Schickではデザインも美しい2枚刃のものがまだ生産、販売されてゐた。これ以降のものは見た目もガンダムみたいに重装備で何だか好きになれない。こういうシンプルな工業デザイン力はもう昔のもの。これが残つていつてくれゝばよいのだが。
Amazon

サッポロ赤星の復刻版ラベルのビールを飲む。赤星のプロモーションの一等賞商品で中身は当然、今の赤星。傾城水戸の催事*1から大阪豊中の「鯖や」といふ通販とか全国のデパート販売で評判の「とろ鯖棒寿司」を夕食に。

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小沢信男東京骨灰紀行』(筑摩書房)読了。新刊は2009年発行で小沢信男(1927〜2021)は80歳で両国、日本橋、千住、築地、谷中、多摩、新宿そして最後に再び両国を歩いてゐる。そこは日本でも首都一点集中で繁栄する東京でも江戸時代からどれだけの屍が地中にある場所か、それを探訪。戦争責任や歴史を正視せぬ社会への厳しい批判があつたり、それでゐて文章はときどき「え、なんでここで?」と思ふところで「……なんだってさ」とか「……だそうだが、そんなことないよね、きっと」みたいな軽妙な口語になつたり、さすが「新東京感傷散歩」の小沢信男だけのことはある。「洒脱」そのもの。さて内容だが両国は回向院で明暦大火に安政地震での死者の供養に始まるから、その地中に屍があり、その霊の供養があることはわかる。それでも次の日本橋は?……人形町近くに旧吉原があつたが公許の遊郭がそこにあつた時代は数十年と短く明暦大火で吉原は浅草田圃に移つてゐる。だが小伝馬町には幕府の牢屋敷があり仕置場で明治になり取り壊されても場所は不浄場とされ忌み嫌はれ小屋がけの見世物場になつたり場所の「ハレ」化が図られ芸能も盛んとなる。ところで大伝馬町には京都の大丸が寛保3(1743)年に進出してゐて当時から明治まで東京の商業でも大店が並ぶ場所だつたのださう。また公許の遊郭・吉原に対して(赤線に対する青線のやうに)吉原以外に岡場所があつたわけだが何故に岡場所と呼ばれたのか、少なくとも淫賣が岡の上なんて目立つ場所にあるはずもないが、これは遊女の「御構場所」が語源。小沢信男の散策は東京でもさうした「死」の記憶ではかなり強い地霊が蔓延る南千住へ。近くの吉原の遊女たちの死の手向けは回向院、常磐線で分断されたが延命寺首切り地蔵があるのは小塚原刑場に近いから。浄閑寺(新吉原総霊塔)。そして築地はさうした死霊と何か縁でも?と思つたが時代はぐっと下がるが地下鉄サリン事件で死者八名を出した日比谷線築地駅築地本願寺があり明治30年代にアメリカ聖公会の宣教医師ルドルフ=トイスラーによつて設立された聖路加病院が震災や空襲で死者を出さぬための緊急医療で果たした役割。この本での死を語る逆の見方で築地は語られる。そして谷中といへば谷中墓地だが、そして上野は彰義隊で大量の血が流されてゐる。多摩は多摩霊園。この本には書かれてゐないが大正、昭和天皇武蔵野陵も東京の西である。大正時代に大規模な多摩「墓地」建造計画が始まり昭和9年に東郷平八郎墓所が此処にできたことで、この巨大墓地は東京の人々に大人気となるのだが「霊園」なる呼称はこの時に生まれたのだといふ。新宿も内藤新宿遊郭があり太宗寺、成覚寺などそれに纏はる寺史があるが小沢信男が府立六中(現・新宿高校)の出で旭町のドヤ街の話から始まる。そこは屍の地ではないが死と距離の近い人生や生活もそこにあつただらう。新宿といふより四谷は左門町から東、今の「若葉」周辺は江戸時代からお寺ばかり。谷底 は鮫ケ橋。その明治からの東京最大の貧民窟の崖の上に学習院があつて迎賓館から赤坂離宮に隣接なのだから面白い。そしてこの散策の最後は両国に戻る。最初の章では総武線から南の回向院だつたが最後は北の被服廠跡。九月一日の震災と三月十日の空襲。震災での朝鮮人虐殺。著者はその慰霊追悼の日に足を向けて慰霊塔の中も具ぶさに自分の目で確かめる。両国で奇観の江戸東京博物館。なんであんな変な設計なのだらうと最初に言つてゐた小沢信男は最後、あの建物は「香華台」なのだ、と指摘する。四本脚の大机の上にいつくも白磁の骨壷が並べてあるやうで南から眺めると、あれは被服廠跡から慰霊塔をあの台下に眺める巨大な香華台で東京の、殊にその周域の霊を弔つてゐる。それが江戸東京の歴史そのもの。

都会という不自然な形態は、いかに不自然な死者たちを絶えず生じさせることか。その無量の屍たちのうえにこそ、おかげさまで、多様な町暮らしの喜怒哀歓が、営々とくりひろげてこられたのだなぁ。そのこしかたを忘れはてた集団に、崩壊以外の、どんな未来がありえようか。

小沢信男日芸在学中に花田清輝に「新東京感傷散歩」が認められ物書きになつたが(戦後、フリーライターと呼ばれる書き手の第一世代だらう)きちんとしたものを書き残してゐないといふ自嘲あつて、何かきちんとしたものを後世に残せれば、と奮起しての大作がこれ。かなりの資料を読み漁り小沢信男にしか残せない東京の記憶がこの結果的に遺作となつた。

東京骨灰紀行 (ちくま文庫)

*1:この催事では551HORAI(豚まん)、玉出木村屋(パン)、神戸の何某店の丹波栗のアールグレイ味クリームのモンブランが長蛇の列であつた。