ヴィクトリア公園が封鎖されようとも追悼の蝋燭の火は我々とともに灯ると蘋果日報。
明報も冷静沈着に六四を報じてゐる。
大公報は香港で初の変異株感染を報じてゐる。六四など何事でもなく普段に中国の安定と成長を報じる人民日報。
保和苑を通つたら紫陽花は三分咲き。今年は紫陽花も開花が早いのでは?と思つたが最近の微妙な寒さで開花は例年並みにになつてゐるやう。保和苑は北向きの台地にあるので開花は市中よりも少し遅い。今日は水府在住の六、七人の米国人の若者らと一緒。紫陽花は英語では“hytrangea”といふ。ハイドロは誰でも識る通り「水」で紫陽花が水を多く含むことで納得だが“ange”は「法語の天使(アンジュ)ではなくて」と言つてみたが若者らにはウケず、これはアタシも慌てゝ字引きで調べたのだが希臘語で「器」の由。水の器とは言ひ得て妙なり。漢字を会得し初めて楽しくてしやうがない泰西の青年がアジサイに「舞妓」といふ品種があり立札を見て読めず即座にスマホで調べて「まいこ!」と音を発した。
保和苑には旧制水戸高校に学んだ金子兜太(1919〜2018)の句碑がある。
俳人・金子兜太の誕生を告げる処女句は〈白梅や老子無心の旅に住む〉初出は水戸高の「暁鐘寮報」(昭和13.3)の第十面・文芸欄の一角に掲げられた「水高俳句会第四回作品」の中に見える。同会は、昭和12年11月に英語担当の長谷川朝暮(四郎)と吉田両耳(良治)教授の指導下に始まった。実質的リーダーは兜太の一年上の出沢三太(暁水、珊太郎)。短歌・詩・散文でも水高時代文才を披露し一目おかれていた。出沢は俳句王国―水高の立役者である。「白梅」は水戸ならではの発想に違いないが「老子云々」には老成した超越の時間が内在する。(佐々木靖章「金子兜太の出発」より抜粋)
俳句は外国人にもよく知られてゐるわけで〈白梅や〉の句も説明を。白梅は水戸ならでは、で老子は中国系の若者が数名ゐたので日本に老荘思想が普及したことを話すと彼が友人らに老子について少し説明してゐた。泰西漢字青年が「無心」に「心がない?」と悩んでしまひさうなので「GreedやDesireがない心境」だといふと「芭蕉と同じだ」と。その通りで「旅に住む」心境は疫禍、極東の地にある彼らには感じるところ少なからず、だらう。
行きつけの花店にちょうど咲き頃の紫陽花があつたので一枝いたゞいて帰宅。紫陽花は切り花にすると保たないから水揚げをしつかりと、と花店のご主人に念を押される。
水府は泉町2にある歴史的建造物の泉町會舘にあるWine O'clockといふワインバーのテイクアウト用ランチ。あっさりとまことに美味しいお弁当でございました。
和室の書机に以前、レトロのランプを購入したが暗すぎて読書に向かず改めてLEDライトにしてみたら今度は明るすぎる。6300Kも発色度がある。LEDはさいはひ発熱が40度ほどなので非可燃性のファイバーフィルターを当てゝ光度を抑へてみました。
「鉢の木」が昨日より水やうかん発売。昨日は大雨だつたが(それでも水戸は28mmくらゐしか降らず)やはりこれを食べないと水戸の夏は始まらない。
鉢の木の水やうかんが水戸の夏
本日芒種。