富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

小沢信男を読む


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民主化運動の「暴徒」が暴動のための装備や危険物をネット上で公然と「散貨」つまり在庫処分と大公報。伝へたいのは「暴徒」の弱体化である。六四を前に王丹とウアルカイシが香港の六四反思に感謝と激励と蘋果日報

"We have to make some sacrifices to make this possible. The athletes definitely can make their Olympic dreams come true" Bach said. オリンピック開催が我々の生命や人権、暮らしに優先されるわけないだろ、大馬鹿者!我々の社会生活が犠牲となつてスポーツ選手のために五輪が開催されるのではなく貴様ら五輪貴族の我が世の春のために何の犠牲を払ふ必要があらうか。


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消費場にはできるだけ行きたくないのだがあれこれ買ひ物には時たま行かざるを得ず内原の岡田屋へ。週末は駐車場に入るも難儀と聞いてゐるが月曜の午前中だと5階だかにある楼上駐車場も随分と余裕あり。さつさと買ひ物済ませて昼食は盥うどんの「椛や」に。香川出身の方が仕事で茨城に縁あり、こちらで築百数十年余の古民家改造してうどん供してゐる。


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水戸に店舗では唯一?残る「とらや」といふ古書肆で昭和57年の水戸住宅地図(ゼンリン)2冊組を4,500円で入手。当時17,000円。ちなみに電子地図が無料も含め、これだけ普及した現在でも同社から住宅地図は出てゐて水戸は2冊揃ひで48,400円もする。生まれ育つた水府の繁華街、伊勢甚と京成(旧志満津)の両デパートが向かひあつた泉町も店舗がぎつしり。一軒一軒あれこれ思ひ出もあり懐かしいかぎり。酒井潔『悪魔学大全 』(昭和52年)も入手。

小沢信男東京の人に送る恋文』(晶文社)読む。小沢信男は銀座、昭和3年に土橋近くの生まれで通学は泰明小学校。後に山下清についての『裸の大将一代記』で人口に膾炙したが日芸在学中に『江古田文學』に載せた「新東京鑑賞散歩」が花田清輝に認められ物書きに。若い頃に書いた東京物を集めたこの書のうち巻頭の「徴章と靴*1」は昭和20年の空襲から戦後を描いた数多ある文章の中でもかなりの秀逸だらう。310の東京大空襲の数日後に山の手から勤労奉仕のあと恐る恐る秋葉原に出かけた小沢と友人の見た焼け野原。そんな日でもお茶の水の焼け残つた映画館では小津監督の『戸田家の兄妹』上映してゐてぎつしりの集客だつたといふ。

資本と結んだ日本軍閥は一九三七年七月日中戦争を勃発させて、北京、天津を占領しちゃった。

この歴史的大事件を「……しちゃった」とはなか/\書けたものではない。あっけらかんか?と一瞬思つたが驚きを通り越して感情もないやうな唖然になると「が死んじゃった」とか言うよな、と。軽妙な文章表現ながら思考は深い。

終戦直後の)あのとことんモノのない平等時代に、エゴイズム批判だの主体性の確立だの大衆への献身だのと観念的な血眼になる代りに、眼のまえの実態としての平等と連帯を、具体的なルールとすべく私たちがもっと効果的に立ち廻る方法なかったか。すぎさったユートピアとしての焼け跡の、せつなさ、なつかしさ。なにしろローアングルで地平性が見えたのだから。

当時のとても現実的な知性批判の上での方法論の提示。明瞭の極み。日本の敗戦での深刻な問題をこんなに易しく鋭く指摘した思考と文章を他に見たことがない気がする。こゝで「ローアングル」といつてゐるのは小津の『戸田家』についての文章だからで秋葉原の駅から東京湾まで、そして上野の山がすぐ手にとるやうに近くに見えたこと、地上からも遠くまでローアングルで見通せたことに繋がつてゐる。それまで「醜(しこ)の御盾*2」になつてゐたことの過ち。

私たちの脳細胞は「敗北」について考えることのできない仕組みに配列されていた、とでも言いたくなる。天皇信仰は、ついに敗戦まで、いやアメリカ軍が人間の匂いをぷんぷんまきちらしてやってくるまで破れなかった。当時を思うと、迂生は今でもじりぎりと臍の裏が煮えてくる。人間があたりまえに感じ考える機能を、われわれから去勢しようとかかったものどもに……。彼らの手先の教師らは明電舎勤労奉仕先)の賂いにすっかり骨を抜かれていたのに、少年たちは八月十五日のおヒルまで、特攻隊にかりだされ爆弾抱いてタコツボにもぐりこむ時の覚悟のほどを、目の前につきつけられていた。

こんな当時の少年のときの戦争否定の回想を書く小沢信男なる人の思考と筆致。この筆者が戦前の東京を思ふとき戦後残存した画像が桑原甲子雄の戦前の東京の下町風景なのはなるほどと理解できるところ。

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*1:徴章は学生服の金ボタンまでが金属物回収令で取られて瀬戸になつたこと、靴は焼け野原を歩くボロボロになつた軍靴の重さ。

*2:天皇の楯となって外敵を防ぐ者。武人が自分を卑下していう語。