富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

昭和の日


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中国武漢に端を発し米国、ブラジルと感染拡大で深刻な感染はインドに。インドはワクチン開発する先端技術と底なしの貧困社会の同居。人類の文明発祥の地の一つで最終的に人類社会の姿がこゝにあるのかしら。

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天安門事件翌年1990年からヴィクトリア公園で開催されてきた六四集会は昨年感染拡大を理由に香港市役所を認めずヴィ公園の敷地は閉鎖されるなか強行突破した市民が追悼集会。すでに国安法施行が予定されてをり国安法前の最後の六四集会となつた。

それが今年は強硬開催の場合、国安法で明らかに不法集会扱ひとなる。

文學界(2021年5月号)

畏友久が原T君より『文學界』と『現代詩手帖』いずれも5月号に高橋睦朗さんの対談が出てゐると聞く。前者は谷川俊太郎さんとの「対談」なのだがタニカワシュンタロウが睦朗さんの最愛の聞き手として睦朗さんの心と言葉を自由にする。 睦朗さんの、文字面では「衝撃的な」性的告白(それは今日は偶然に「昭和の日」だが自由で大胆で陰翳が強烈で何て劇的な時代だつたのかしら)に普通は驚いてしまふかもしれないが、大切なことはそれではなく、高橋睦郎といふ人の世界観そのものの告白。それが谷川俊太郎を介することで明らかになつたのだらう。アタシは小説もほとんど読まないので『文學界』だつて近くないが『現代詩手帖』となると詩なんて感受性が絶対的に乏しいアタシには遠い世界。水戸市の常澄図書館に『現代詩手帖』があるやうなので今日は「昭和の日」で雨がひどかつたが自動車で出かけてみる。水戸から大洗に向かふ国道51号線で途中の旧常澄村の村役場の建物が常澄地区の市民センターになつてゐる。こちらは詩人・藤井貞和氏との対談「日本語詩歌の深層について」。

現代詩手帖2021年5月号(雑誌)

こちらは、まさに現代日本代表する二人の詩人の「対談」でコトバについて、そのチカラを深層まで探つてゆく。時枝国文法から大野晋の世界。それでも突き詰めればオリクチワールドとなる。そして中国語の漢字世界について。

(睦朗)ぼくは十年前にさっさと逝ってしまった草森伸一*1に若いとき聞いたことがあるんですよ。いまの中国語の言葉自体が……簡体字の問題ではなく……助辞みたいな言葉がいっぱいあって、ぼくらが漢詩で読んでいる言葉とぜんぜん違うじゃありませんか、これはどこでこういうふうに変わったのって。そうしたら、いや、口語はむかしからあのとおりだったと思う、それを整理して文語として作ったのが漢詩漢文のああいう文体だったんじゃないか、というふうに彼は答えてくれた。そうだとしたら漢字自体のなかにも詞と辞に近いものがあったということですね。最初に『万葉集』の文字づかいに関わった重要な人が柿本人麻呂だったというのが本当ならば、そのへんのことを知った上でやっているなと……。

(貞和)万葉の表記が漢字かな交じり文ですよね。その発明、発見のルーツは朝鮮半島と思いますけれども、それから千何百年ずっと続いて、現代に生きている。その〈詞と辞〉の関係構造を明らかにしようとしたのが時枝です。時枝がたった一人でそれをはじめたときに、周りは欧米的な言語学で凝り固まっているし、一方ではソビエート言語学が入り込んできて、時枝をボコボコに……(以下略)

なんて刺激的な対話なのかしら。この漢語、漢文の詞と辞、音意の強弱についてインスピレーションのやうに感じてしまつた睦郎の凄さ。音の意味としての、或いは意味の音としての強弱。これがわかると中国語は楽しい。それを最近も中国語に関する本を上梓された畏友に話すと「わかろうとする人はわかることができる。でもそれには本当の意味での教養が必要なんですよね」と。御意。ところで、この漢字の詞と辞、音意の強弱がわかるかわからないかで書も違つたものになつてくる……といつたことを指摘してゐたのは石川九楊先生であつた。

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ふだん詩など全く読まないものだから、たまには、と思つて読んでみたが藤井先生の詩は読んでゐるうちに脳内が筒井康隆になつてしまつた。
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お昼になつて内原図書館を出るが雨がひどい。元々は常澄村役場の建物なので小さいながらも車寄せがあつてありがたい。家人をそこに待たせて車をもつてくるほど。水戸市街の方に戻る途中の浜田に浜田屋といふ美味いラーメン屋があり、そこに寄つてタンメンをいたゞく。昨年10月末に日本に戻つてきた家人を迎へに成田空港に行く途中に寄つて以来。あれからちょうど半年。

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こゝから近くの櫻川沿ひに田村といふ川魚店があることを聞いてゐたので折角だから寄つてみよう。そこは櫻川が那珂川に合流する手前で川魚がよく獲れるところなのだらう。今では那珂川も天然の鰻など稀だが昔は、この川魚店など桶に那珂川産のウナギがぬめぬめとたくさん泳いでゐて書ひ求めにゆくと、その場で割いてゐたといふのだから。


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疫禍で大雨とあつては客も私らだけ。今日は鰻の白焼きがあるか何うか。白焼きは無事手に入れたが注文が入つてゐればちゃんと用意できるわけでお店の方は「電話してから来てくれれば、不定休だし、用意しておけますから」と仰る。

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櫻川岸のその店は「本店」とあり、それなら支店もあるのかと思つたら櫻川が那珂川に合流した先の河岸に「支店」があつて、こちらは今は小売営業はしてゐないやうだが漁船が着岸できる埠がありクレーンのついた船塢(ドック)まであるとは。今の季節はウナギだけのやうだが秋には那珂川に鮭が遡上で日本で鮭の遡上はこの那珂川が南限だとか。水戸藩から江戸の将軍に「献上鮭」もあつた。店の駐車場の看板には「藻屑がに」とも出てゐたが、これは晩秋。それにサクラマスなんて今では何なのかしら、天然のものがこのあたりで獲れるのか。

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鰻はタレをつけた蒲焼も美味いが、あそこまで味が濃いと白飯と一緒のほうが美味しくて鰻だけならアタシは断然、白焼きが好き。

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*1:草森伸一の死去は実際には2008年のこと。