富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

日本沈没


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今日は香港は「全民国家安全教育日」でさまざまな愛国イベントが開催されるさう。あの自由といふか「ルールがないことがルール」のやうな香港がこんなオーウェル的都市にならうとは。家庭内暴力を1面で報じる蘋果日報はそのトップに民研の調査で民主派市民の61%が選挙では白票投じるといふ結果だと。白票投じるやう煽ると犯罪。これについてのアンケート調査、そして報道もそのうち禁止か。ぎりぎりのところでの抵抗。さうした社会不安がない世の中を希求するのが国家安全か。

成田悠輔「コロナ失策からの発見 崩れる民主主義の常識」朝日新聞

民主主義は奇怪な制度である。誰が、人の生活どころか生命さえ左右する致命的な決断を、どこの馬の骨ともしれない街頭の一般人アンケートに委ねようと思うだろう? 実際、つい最近まで民主主義は眉唾だった。アリストテレスが紀元前に書いた『政治学』も言っている。「過激な民主制からも独裁制は生じる」。

と、この論説は過激に始まる。思ひ出すのはウィンストン=チャーチルの「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」。

封建領主や貴族の横暴はひどかった。けれど、民主主義が可能にするマスの横暴がそれよりマシだと信じる理由は実は薄い。マスのふところに飛び込むことが政治の標準規格となったのはここ200年余り、若く特異な現象だ。
しかし、ここに来て民主主義への疑問が再燃している。格差と憎悪の拡大、SNSによる情報汚染、ポピュリズムの台頭……だいぶ前から危機にさらされてきた民主主義に、とどめの一撃が加わった。コロナ禍だ。

民主主義の象徴・米国での感染抑制の失敗。武漢から新型コロナが発生した中国は日常を取り戻して防疫の成功を誇つてみせる。米国の失敗と中国の成功。「これは民主主義が呪われた制度だと暗示しているのだろうか?」。民主主義こそ人命と経済を殺めた犯人なのか。実際に「世論に耳を傾ける」民主主義的な国ほどコロナで人が亡くなり経済の失速も大きく、逆に専制的な国は封じ込めに成功し経済の打撃も小さい。まるで「民主主義がコロナ失策を引き起こしているよう」。なぜ民主主義は失敗するのか?「何をすべきか政治家はわかってるんだ。すべきことをしたら再選できないこともね」。(ジャン=クロードユンケル・元EU委員長)

感染症の流行やウェブ上の情報流通など、いま世界が直面する最大の課題群には共通点がある。人の日常的な認知能力を超えた速度と規模で問題が爆発することだ。超人的な速さと大きさで障害物が現れる世界では、凡人の日常的感覚(=世論)に押し流される民主主義はズッコケる運命にあるのかもしれない。

複利は人類による最大の発明だ。知っている人は複利で稼ぎ、知らない人は利息を払う」(アルベルト=アインシュタイン

複利のように倍々ゲームでウイルスやフェイクニュースや誹謗中傷が社会を覆い尽くすようになった。だが先進国の人々が受ける義務教育は何十年もほとんど変化がない。その結果、人類はどんどん「知らない人」になっている。人類全体が民主主義を通じて利息を払わされているかのようだ。
近代社会の経験則は「民主的な国ほど生命は安全で経済は成長する」だった。この常識が崩れかけている。民主主義を諦めるのか?人の脳内を改造するのか?技術環境の規模と速度にストッパーをかけるのか?政治の土台をどう作り直せばいいのか、私たちは文字通り命がけの選択を迫られている。

(時代の栞)小松左京『日本沈没』1973年刊 - 災害と戦争の記憶をSFに:朝日新聞

子どものときに映画『猿の惑星』でラストシーンを見たときの衝撃。そして『日本沈没』は怖かつた。どんな繁栄も最後はかうなつてしまふのか。

僕は「本土決戦」「一億玉砕」という言葉に死を覚悟していた、あの絶望的な日々は忘れることができない。玉砕だ決戦だと勇ましいことを言うなら、一度くらい国を失くしてみたらどうだ。だけど僕はどんなことがあっても、決して日本人を玉砕などはさせない。(小松左京

「あまりにも情けない戦争」をした日本への憤りと「毅然とした自己犠牲」を貫いた日本人への敬意と誇り。小松左京の内面には相反する二つの思いが渦巻いていたいふが片山杜秀先生は「小松の中にあったのは「総力戦」への拘りであり『日本沈没』はそれをシミュレートする壮大な思考実験だった」と分析する。

島国の国土に守られてぬくぬくと過ごしてきた日本人が本当に成熟するに、国自体が消滅するほどの危機に直面し今度こそ国民一人ひとりが全力を出し尽くす「真の総力戦」をやり遂げるしかない……そんな思いが(小松左京には)あったのでは。(片山杜秀

あれだけの誤謬を犯して焦土となつた敗戦。それでも近代市民革命は起こらず漠然とした「國體」が護持されただけ。ゴジラに首都破壊されても「こゝからまた再建してゆく」といふ希望ばかりで思考回路は何も変はらないのだらう(シン・ゴジラ)。あの時もゴジラは皇居は傷一つつけなかつた。311の東日本大震災と核禍は、これで日本も変はるのではないかと痛い思ひだつたが国土強靭化は土建だけ。東京五輪でおめでたく復興が謳はれる(だから中止すべき)。そしてかつての一等国はもはや今日日の疫禍では防疫すらまともにできない現実を露呈(だから東京五輪は中止すべき)。まさかこんな形で「日本沈没」が現実にならうとは。

▼一昨日、水府の町名で「まち」と「ちょう」について書いて「まち」が城下の中心部にほとんどなことまでは書いたが偶然に水戸市立図書館デジタルアーカイブで3月下旬に水戸城下絵図が公開されてゐる*1のを見つけた。「まち」も「ちょう」も総じて「町」とする地図もあれば逆に「丁」とする地図もあるなか「天保12(1841)年以降」とされる地図(こちら)だけは丁寧に「町」と「丁」を書き分けてゐる。仲町、大町、南町と「町」が水戸城西に南北に並行して鷹匠町もある。二の堀を渡り備前町もある。それでも現在「まち」と呼ばれる金町と大工町は「上金丁」「下金丁」と「大工丁」(旧町名の西町も西丁)になつてゐるた。

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この千波湖がまだ埋立てで小さくなる前の水府城下は那珂川千波湖に挟まれた、まさに水府でまことに美しい。堀と運河。お城の東がまさに「城下」の商人町で水害もあり次第に武家屋敷の並んだ城西の高台も商業地として開けてゆく。

*1:郷土史に詳しい畏友J君によれば、今回公開された城下地図は少々考察が必要だといふ。明らかに後世加筆されたものもあり表題の年代もその通りかだうか。