富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

東海村に火灯る②


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深圳に「免税天国」建造で商機到来!って、んなのできたらコロナ明けでも余計に香港に買ひ出し客来なくなるだらうに。さらにいへば、もう買ひ出しぢたい数年前のやうにもう千萬の人が消費場所に押し寄せるといふ経済行動は再来ないのでは。藁にも縋るやうに中米交渉での米国主張に頼る蘋果日報

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呉叡人『受困的思想:臺灣重返世界』(衛城出版 2016年)が『台湾、あるいは孤立無援の島の思想』としてみすゞ書房から出てゐた。

  1. 台湾と琉球の同盟締結の提案。台湾は日米軍事同盟にも中国の圧力にも加わらず、永世中立を目指し、琉球民族の自決を支持すべき。
  2. 台湾の弱さを強さに変える。台湾はずっと日本や清などの帝国のはざまで自立を妨げられてきた。そんな「賤民(パーリア)」だからこそ窮境に追い込まれて学んできた美徳と技術により、不公正な世界と対峙できる。

上記1は〈近代〉を経ての21世紀のマジに理想的な国家建設の実験になるだらう。井上ひさし吉里吉里国のやうな。日本と中国についてゐても良いことなどない。上記2は李登輝が「台湾の悲哀」といつたものを些か結果論的ではあるが、発展的に消化しての前向きな思想展開。

世界中で数年前からB747機の退役が続いてゐるが本日、台湾の中華航空B747が最後のフライトは東京で富士山もぐるりと旋回の由。B747型期は爆満だつたさうでコロナ感染抑制してゐる台湾ゆゑか。梅を尾翼にデザインにしてからの華航の機体はセンスもよくB747型期には似合つてゐた。この記事の見出しがB747機が46年の現役で台湾経済の起飛を見てきた、と。御意。

本日春分。日本の祝日や制度に弱いアタシ。土曜の祝日は週明けの代休はなく祝日が休館となるやうな施設も土曜が通常開館の場合、祝日土曜は通常通りとなるやうな。

国民の祝日に関する法律 第三条 「国民の祝日」は、休日とする。

2 「国民の祝日」が日曜日に当たるときは、その日後においてその日に最も近い「国民の祝日」でない日を休日とする。

3 その前日及び翌日が「国民の祝日」である日(「国民の祝日」でない日に限る。)は、休日とする。

昨日この日剩で紹介した朝日新聞茨城版2012年春の連載「原子のムラ(第1部)東海村に火灯る」でネットにて漁れなかつた第19回(2012年1月27日)を市立図書館のバックナンバーで読む。地方版も一筋の皺もなくきちんと製本されてゐる。朝日新聞記事データベース・聞蔵Ⅱでも検索可。ネットでの記事検索でこの19回が出てこなかつたり、地方版での連載とはいへ貴重なルポなのにシリーズがまとめて読めないのは残念。

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昭和31年2月10日の朝日新聞茨城版に原子炉の安全性、それも安全性を疑ふのではなく「いかに安全か」の記事が初めて掲載される。これを書いたのが1ヶ月前に原発候補地について特ダネを書いた23歳の記者。東大で科学誌や科学哲学は学んだが教養学部原子力については素人。その安全といふ「事実」がどこからのソースかは明らかにされてゐないが政府の原発推進の情報からなのだらう*1

原子力の黎明期にあたるこの時期、原子炉の安全性や放射能の危険性に切り込むような記事が朝日新聞茨城版に載ることはなかった。

かうした安全性についての再認識はスリーマイル島、そしてチェルノブイリ核災を待たねばならなかつた。

この記事を読んで図書館を出やうとしたときじわり/\と地揺れが近づいてきて震度4。図書館員が閲覧者に「本棚から離れてください」と静かに伝へる。カウンター近くにアタシはゐたので、この職員に聞くと「緊急地震速報もなりませんでしたね」と冷静。職員が必要以上に怯えたり騒がられたりするよりずつと良い。「このあたりは地盤が良いからあまり揺れないみたいです」と。今では図書館の前は道路だが、そこは水戸城の三の堀で図書館はその東側の崖にあたる。2月の地震(水戸は震度4)でも図書館の本は全く落下しなかつたさう。図書館の専用の書架はよくできてゐる。

(日曜に想う)「主」なきトランプ主義の行方 アメリカ総局長・沢村亙:朝日新聞

(トランプについて共和党支持者の声)「私たちの心の中にある不安や不満を声高に代弁してくれる政治スタイル」。「彼の人格を支持しているわけではない」。彼らはさきの大統領選挙も公正だった、バイデン勝利も疑わない。では何に不安、不満なのか。「政治がグローバリストに乗っ取られたこと」。

国際協調に反対なわけではない、気候変動にも関心はある。「グローバルであること、専門的であることを理由に、ますます自分たちの声が届かなくなる。勝手に物事が決められていく不安」。この指摘は重い。民主主義によって代表されていないという不満からファシズムは芽生えるからだ。つまりトランピズムは「イデオロギーではなく、草の根の鬱積に突き動かされた運動」。トランプ自身も退任演説で「私たちが始めたムーブメントは始まったばかりだ」と語っていた。政策エリートで政権内を固め次々に新たな政策を打ち出すバイデン政権を見ると、いつか反動のムーブメントが噴き出すのではとの不安がよぎる。「トランプ氏は新たな戦争を始めなかった」。これも事実だ。平和主義者だからではない。戦争こそ最大のカネの無駄。「正義の戦争」を標榜する米国だって数々の非道に手を染めてきたじゃないかというシニシズム冷笑主義)。理念が崇高ならば戦争は許されるのか。米国人ならずとも重い問いである。

*1:翌年、原子の火が東海村に初めて灯つた年、朝日新聞には科学部が設けられ、この原子力報道を茨城で担当した記者も科学部に入り昭和50年には科学部長になつつたことが連載第21回にある。