富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

零度のエクリチュール

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行政長官選出の選挙人が1,200人から300人増やされ立法会の議員数も20増えて90議席になるが何うせ親中派枠。そもそも非国民は立候補もできなぬ事前審査あるのだから。もう完全に骨抜き。腐臭漂ふばかり。これが「发展适合香港实际情况的民主制度」なのださうな。


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蘋果日報は高級スポーツジムで感染拡大といふネタ1面にして中共の香港選挙制度改革は5面に。

 明報社評「香港選舉制度「大重設」包容度愈高愈利互信」

過去10年,泛民激進化,陣營內主張溫和路線的人被排擠,新制度下卻是後者有從政空間,前者卻沒有了。若只以泛民主流派近年的政治鬥爭路線為基準,新制度下真的未必再有「泛民」;若將昔日陣營內的溫和派重新視為同道人,則體制內仍有機會存在「泛民聲音」。當然,近年變得激進化的,不僅是泛民,還有其支持者,經過反修例風暴和前年區議會選舉,他們是否願意投票給這些曾被邊緣化的人,仍是一大疑問。

明報は微かな望みを民主派内の穏健派に託す。だが反政府運動が激化したやうに市民の意識もかなり激化してをり、そうした支持者が穏健派に期待するか何うかが難しい。

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 この朝日新聞の<視点>に書かれてゐる通り(書き手は西村大輔・中国総局長)。

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昨日の朝日新聞夕刊に歌舞伎座国立劇場それぞれの今月の歌舞伎劇評あり。並んでゐると読んで面白い。芝居が、ではなく「劇評とは評者により、かうも違ふものか」と。畏友・村上湛君の三宅坂評には「覚悟」のやうなものを感じる。この芝居の意義、意味をしつかりと語る。感想ではない。そして一文字たりと無駄がない。しかも美文。評論が芝居から独立して一つの物語のやう。数回読み返しても面白いのだから。

ふとロラン=バルト『零度のエクリチュール  の有名な書き出しの一文を思ひ出した。

エベールは『ペール・デュシェーヌ』紙の記事をいつもきまって、『くそ』とか、『ちくしょう』といった類のコトバではじめたものだった。これらの粗野な口調は別に何も意味(シニフィエ)しはしなかったが、さし示し(シニヤレ)はしていた。何をか? ある革命的シチュエーションの全体をである。だからこれはもはや単に伝達(コミュニケ)したり、表現(エクスプリメ)したりするだけではなくて、言語(ランガージュ)のかなたのものを強いるのが機能であるエクリチュールの見本といっていいし、言語のかなたのものとは歴史であると同時に、そこにおける主体の決意なのである。

零度のエクリチュール 新版