富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

除夕かな


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春節を前に香港では外食は4人で午後10時までに暫定緩和の由。「安心」アプリで安心して外食を、と大公報。ネットラジオで「林鄭一家死ね!」発言も刑事罰対象。

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本日は紀元節皇紀二千六百八十一年ださうな。あの東京五輪(中止)の大騒ぎから八十年余。水戸市立博物館は水戸市民でも「どこにあるの?」どころか「そんなのあったんだ」 くらゐマイナーな存在だつた印象あるが昨年の「ざんねんな鳥たち」特別展はコロナ禍でもかなり反響あり緊急事態宣言休館明けで今週から始まった開館40周年記念の特別展「昭和浪漫 思い出の宝石箱」展参観。なんだか市立図書館がやたら元気が良い。


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まさにアタシが生まれ育つた戦後の水戸の商店街の展示がたまらない。泉町の志満津と伊勢甚といふ二大デパートはアタシら商店街の子たちの遊び場だつた。 催事場での夏休みのお化け屋敷や昆虫展など木戸御免で連日入場するばかりかお化け屋敷など裏に回つて大学生のアルバイト君と懇意になり客を驚かす仕掛けまで動かす役目を買つて出たり。その間、学生アルバイトは仕事をサボつてゐた。昭和の戦後は、それは商都水戸の賑はひであつた。今回そこまで期待もしてゐなかつたが昭和45年当時の水戸駅から上市・泉町までの大通り商店街の何十枚もの連続写真の展示あり。これは貴重。何ういふ経緯の写真記録かは展覧の「おわりに」に掲示があつた。

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参観者は連続写真を眺めながら「あー十字屋」だの「ミハシは賑はつてゐたわね」だの歓声あげてゐるほどでアタシも当時が一軒一軒の商店が懐かしいかぎり。この「おわりに」にある大森さんといふ方は当時、泉町1で伊勢甚隣にあつた柏屋といふ大店の砂糖問屋の方。それで、この写真コレクションが面白いのは(といふか残念なのは、だが)大通りの商店街でも南側だけで北側は一枚もなく水戸駅前から大通りの南側がずっと撮影され、それが柏屋と伊勢甚のところでお終ひ。その先も内田肉店、常陽銀行中支店そして泉町2から大工町と賑やかな商店街が続くのだが伊勢甚まで。大森さんもあくまで自分のための記録で、まさかそれが半世紀後に水戸の博物館で貴重な記録として展示されるとは夢にも思つてゐなかつただらう。

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市立博物館を出て県立図書館に借りた書籍返しにいく途中で南町1(仲町通り)の五鐡で昼食。奥久慈の軍鶏で親子丼。池上先生の〈鬼平〉に五徹といふ軍鶏鍋屋が出てくるが、この水府の食肆もそれを意識しての名付けで軍鶏を出してゐるのかしら。さすがに蕎麦屋ぢゃないから「親子丼をヌキで」といふわけにもいかず親子丼の具を肴に昼酒。偶然だが昨晩から池波正太郎を読んでゐた。
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先代の又五郎丈のことが懐かしく思へたのは昨秋三宅坂で養成所開所50周年の展示を見て研修生を指導する播磨屋の姿が何枚もの写真にあつたからで晩年の播磨屋の舞台姿が目に浮かび又五郎に関するあれこれネットで見てゐたら池波正太郎に『又五郎の春秋』あり、これを読んでゐなかつたと早速図書館で漁つたら池波先生の全集にそれがあつて借り出して読まうとしたら講談社の完本池波正太郎大成第29巻の巻頭は「青春忘れもの」で正太郎少年の青春記を読み直ししたら止めらられない。小学校を出たてで兜町の株屋に働きに出た小僧が小遣ひを握つては煉瓦亭や資生堂で舌鼓打つのは有名なエピソードだが一時期株屋を外れて塗装業に従事した時には重光葵邸に仕事に行き「そんな偉い人になら何か一つ記念に書いてもらはう」と神楽坂の文房具やで白扇買ひ求める。重光邸では本当に主人に遭遇して白扇を差し出す13歳。重光葵から三日後に「精神一到何事不成」と認ためた白扇手渡され応接間で紅茶とケーキ用意され御大自ら紅茶を淹れてくれたのだといふ。歌舞伎も好きで義太夫を習ふほどだつたが三越ホールで羽左衛門XVが頻繁に出てゐる上に買ひ物にも現れたところに出くわし手帳に万年筆差し出しサイン請ふたところ十五代目は若いご贔屓に礼をいひ「ちゃんと色紙に書いたものを差し上げませう」「二日後にまたこゝで」で本当にきちんと紅梅の一枝描いた色紙をくれた上に歌舞伎座の一等席の切符二枚が封筒に入つてゐたといふ。何とも美談。その月の木挽町といふのが團菊祭で六代目の踊りで〈年増〉と〈浮かれ坊主〉。このつなぎの駕籠かきが男女蔵左團次Ⅲ)と時蔵Ⅲなのだ。そして七代目の〈暫〉に六代目の〈塩原多助〉。十五代目は〈源氏店〉の切られ与三。何と羽左衛門XVに、このお礼にと銀座のレストラン保米樓(ほめろ)名物のローストビーフのサンドヰツチを大箱に詰めさせ歌舞伎座の楽屋に届けさせた池波少年は数へでやつと十六なのだ。そして吉原での筆下ろしは相手してくれたお女郎が成就のあと祝儀にと赤飯と蛤の吸物を用意してくれてゐたといふのだから粋な時代。このお女郎とは数年懇ろとなり正太郎出征の折には母親が「お世話になりました」と吉原まで礼をいひに行つたといふ。この全集「青春忘れもの」の次は「食卓の情景」なのだから、なかなか『又五郎の春秋』にゆきつかない。

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夜は夜 昨夜の咖喱 冷や酒の 肴に一盞 除夕かな

東都は太田記念美術館笠松紫浪没後30年記念の大規模な作品展開催中。ぜひ参観したいのだが2月も後半で展示作品総入れ替への3月も何うにもタイミングが合はず出向けない。今回の展覧図録が京都の芸艸堂から出てゐたので、それを買ひ求め今日届いた。


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陋宅には祖父の代から玄関にこの(左下)「春の夜 銀座」が掛けてあり幼稚園に行くときも玄関で、なんでこんな寂しい絵を掛けてあるのだらうと思つてゐたのだが少し大人になつて昭和9年の東京で夜これだけ人が出てゐるのは戦争前の一時の賑やかさで祖父も遊びにゆけば楽しい時代の思ひ出なのだらうと感じるやうになつた作品。「東京タワー」(右下)は平成になつて芸艸堂の版をアタシが自分で購入したもので紫浪の作品では「春の夜 銀座」と並んでお気に入り。


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