富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦十二月廿三日


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九龍佐敦の上海陸金記瓜子大王(長い店名である)といへば銅鑼湾の「么鳳」と並び著名な豆菓子の専門店で殊に瓜子(瓜の種子)が評判。春節で卓上にお菓子を並べるから今が書き入れときだが陸金記では疫禍で例年の甘粛省への仕入れもできてをらず大陸客も来ず売上げも落ちて年越しも困難と大公報。香港市役所は防疫を理由に公共場所の出入りに検疫アプリの利用を制度化(蘋果日報)。当然これは市民の行動掌握が可能で抗議活動取締りにも利用可。一昨年なら街灯の智能電柱の薙ぎ倒しなど抗議活動で行われてゐたほどだつたのに。

接触通知4カ月届かず「COCOA」アンドロイド用で障害:朝日新聞

一昨日の日乗でインドでの3億人対象のワクチン接種やIT駆使した感染管理のこと(NHK)を書いたが日本では政府が推進したアプリでの不具合とは。今日の朝日新聞(オピニオン欄)で何故にかうしたIT技術での感染防止が上手くいかないのか、識者がコメントしてゐる。「国に不信?アプリ不振」(朝日新聞)

感染接触判明アプリに海外の事例をイメージして期待を抱いた人も多かった。だがCOCOAはプライバシーへ配慮重視で各自の端末内に情報をとどめる「分散型」。行政が情報を直接取得できる仕組みではない。通知が届いた人が外出や他人との接触を控える。個人が自分の判断で行動を変えることを期待する仕組み。他の対策と組み合わせて効果を発揮するため個人がアプリの実益を感じにくい。通知漏れの障害が長らく気づかれなかったのもこのためだろう。その期待は感染の第2波が収まった昨秋には幻滅に変わっていったように見える。COCOAが普及しない理由として「個人情報に関する懸念」があると当初考えた。だが実は使ってみて「アプリとして(見た目が)洗練されていない」「中途半端」という声が個人情報への懸念よりも先に語られたのが印象的。大きな不具合が明らかになった今、品質に関する信頼はさらに損なわれてしまった。(工藤郁子・大阪大学社会技術共創研究センター招聘教員)

かうしたアプリやサイトのセンスの良し悪し。マイナポイントでもCOCOAでもとにかくセンスが悪い、使ひつらいのは事実。香港や台湾のアプリがどれだけ見た目もよく使ひやすいか。

今回のコロナ禍が、「個人情報は命を守るもの」という新たな認識を日本人が持つ歴史的なステップになるような気がする。連日ニュースで報じられている主要な街頭の人出の状況の情報は携帯電話会社が持つデータを利用している。匿名や統計処理を施したうえで個人情報を社会全体のために役立て個人にも利益が還元される。いま多くの国民はその実例を目の当たりにしているといえる。国家が個人情報を握れば「監視社会」になるとの声もある。しかし震災時や感染症対策など人々の「健康」に目的を絞れば、きっと許容されるはず。ただ成果を積み上げながら国民の信頼を得ていくには少し時間が必要かもしれない。大切なのは「目的や筋道を明らかにして決定する」というデータ管理のガバナンス。誰によって、どの分野で、何の目的で使われたのかが全て分かるようにする。その透明性を確保できれば専門家など第三者がチェックすることも可能。こうした統治が実現できない限りは、やるべきではないとも考える。(村井純・慶応大学教授)

「インターネットの父」村井先生はビッグデータの活用に期待をかけるが重要なのは、そのガバナンスで、それができないのならやるべきではないとする。つまりガバナンス思考に乏しい今の日本では無理か。

各国の新型コロナ対策には国民の価値観が投影される。社会生活を営むうえでまず何を重視するのか。その違いが対策の方向性を左右する。
世界を「生存」と「自由」のどちらを重視するか。
西欧や英米:「自由」重視。コロナ感染対策でも個人の行動の制限には非常に慎重。
アジア諸国:「生存」を優先する傾向が強い。国民の自由を大きく制限する対策で拡大を食い止め。
とりわけ中国はデジタル技術を使った監視システムでコロナを抑え込み。(略)スコア化による評価の監視システムはコロナ前から中国社会で広く受け入れられ。社会信用スコアの「セサミクレジット」は公共料金をきちんと支払うなどしてスコアを上げればローンが低金利で受けられる。こうしたシステムは「資本主義的な発展をベースに「より快適に、安全に暮らしたい」という人々の欲望に応える形」で実現。多くの中国人は各人の信用度や感染リスクが点数で表されることを「便利」「安心」だと考えている。
日本人の価値観はどうなのか?「生存」を重視する東アジアグループに入るものの、その中においては比較的「自由」を重視するという立ち位置。生命の危機は避けたいが自由やプライバシーも守りたい。接触確認アプリ「COCOA」には、こんな中途半端さが表れているのではないか。
新興国の中にはデジタル監視技術を使った中国のコロナ対策に倣おうとする国は少なくない。シンガポールではコロナ対策の接触確認アプリが犯罪捜査にも使われている。
この手法は強権的な統治につながる危険性がある。中国政府が香港への介入姿勢を強めているのはその予兆。西側諸国は今後「中国型監視モデル」の広がりにいかに対峙するのかが問われる。(生存か自由か、選べぬ日本:梶谷懐・神戸大学教授)

結局のところ、どっちつかずで判断も迷ひ「何もできない」国になつてしまふのか。

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普段あまり音楽を聴きながら歩かないのだが防寒で耳当てにBOSEのヘッドフォンを用ゐてストリーミングで音楽を聴きながら歩いてゐたら水戸芸術館の前で小澤征爾指揮の水戸室内で第九の、それも第三楽章が流れてきた。
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この磯崎新の空間がなんてそれに合ふのかしら。寒さのなか思はず立ち止まつて第三楽章を聞き入る。 

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«Bijutori» de Kaiūndo, un magasin de bonbons à Matsumoto