富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

銀座百点


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大公報が反政府組織で11歳のリーダーが野望陥落と騒ぐのは昨年6月に組織された「天水圍社区関注組」で6名の中心メンバーの平均年齢は13歳で、そこの主席である王君は11歳の小学校6年生。マスク不足時には低層市民へのマスク配給など民生活動続ける。彼の口ぐせは「為民請命堅持至底」。その彼の政治活動が「更生」されることへの体制側の期待。一昨年から民主化運動で小学生や中学生で自分の意思でデモや抗議行動に参加する若者たちはまだ転向はしてゐないやう。蘋果日報が報じるのは九龍東のラグナシティの特定の棟での感染拡大。2003年のSARSでアモイガーデンでの下水道管通じた感染拡大を彷彿。


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久が原T君と話してゐて播磨屋のことである思ひ出を披露したら「まぁ銀座百点にでも書けそうな話」と言はれたら、それは戸板先生のやうな「ちょっといい話」といふこと。良質といふこと。銀座で老舗にゆけば『銀座百点』が置いてある。大阪には鶴屋八幡が出してゐた『あまカラ』があつたが今はない。銀座で六丁目の箸の夏野か八丁目の渡辺版画に寄ると店頭に前月や前々月の号もあつて、それをいたゞいてくる。美味しい話がいくつもあるが今は関容子さんの連載が面白い。先月と今月で團十郎(まだ先代とはいへない)と雀右衛門(こちらはもう先代か)の思ひ出話。成田屋が亡くなる直前までの話。つらいなかに夏雄さんの人間としての素晴らしさが表れる。 

これまで僕は人の命は地球より思いと思っていましたけど、この江戸時代そのままのような舞台に立ったら、作者の黙阿弥という人にはそんな感覚はゼロだったんじゃないか、と思った。もともと人の命なんてはかないもので、死は生のすぐ隣りにある、というのが実感としてわかったんです。

そして京屋。アタシらの世代までは昭和の終はり、京屋の全盛期を見て楽しんでゐる。大成駒がゐて京屋はまだ若いと思つてゐたが実は七十すぎ。それでも楽屋入りは黒の革ジャンだつたとかハーレイダビットソンに跨つてゐたとか京屋神話数知れず。幸四郎Ⅶの娘婿だから團十郎XI、幸四郎Ⅷと松緑が義兄の京屋。戦争から戻つてきて七代目に女方をやれといはれたのだといふ。我童や大成駒を見て努力した勉強家。それにしても、この関容子さんの文章に成田屋と京屋の肖像画があまりに見事。画家は誰?と見てみたら南伸坊画伯であつた。 

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銀座木村屋のあんパンにはほうじ茶が合ふ