富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

中央ビル地下


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香港は感染が日に130人ださうで人口800万人だと思ふと日本の大都市圏の状況よりずっとマシだがクラスターとなつてゐる地区での強制検疫実施や3月に標準合わせたワクチン接種など話題となつてゐる。

香港民主派弁護に圧力 中国当局が弁護士に資格剥奪を通知:朝日新聞

中国にも司法制度はあり被告人が弁護士をつける権利もあれば法廷弁護士も存在するのだが被告が香港民主派で国家転覆の罪を問はれてゐるとなると、それを弁護するだけで圧力がかゝる。「弁護士界のイメージを著しく損ない社会に悪影響を与えた」と司法当局から弁護士資格を取消しの通知。

(弁護士の)盧氏が反論のため開催を求めた聴聞会で、省司法局は盧氏がツイッターで中国の司法制度の問題を指摘していたことに言及。「国家の安全に危害を与え司法制度の名誉を毀損した」と主張したという。盧氏は人権派弁護士が当局の弾圧を受けている様子などを発信していた。

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国会開幕で昨日のスガの施政方針演説。本来であれば政府が感染対策を何う推し進めていくか発表すべきところ「国民の皆さまにお詫び」。「危機的状況で最前線に立ち、この難局を乗り越えてゆく」といふが後手後手で何一つはっきりしない。

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水戸は泉町2の中央ビル地下はかつて水戸きつての飲食店フロアで賑はつてゐたが今ではテナントは細々と1軒のみとは。風前の灯火感あり。
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近所で育つたので、遊び場のやうな地下街。昭和45年の12月26日は土曜日で、この日はO眼科邸で裡五軒町の子供会クリスマス会を日遅れで開催。誰だかが「火事だ!」と叫び窓外を見ると近くの中央ビルに黒煙。うちの店は中央ビルの3軒隣りで隣の青果店姉弟と駆けて帰ると店の中は中央ビルから避難した人たちの救援所と化していた。煙に巻き込まれ咳混んでふらふらになつて運び込まれてくる人たち。そこに近所の酒屋から続々と火事見舞ひの日本酒が届くのが印象に残る。

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戦後の水戸で最大の火事。この2年後に大坂の千日デパート、その翌年に熊本の大洋デパートの火事があつた。火事場見物で黒山の人だかりだつたがガス爆発の可能性が出て近隣も緊急で非難となつた。(上下の写真はいずれも近隣の〇兄から提供いたゞいた)

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地下2階で焼死者2名。杜撰な防火体制が問題となった。火災事故報告書(こちら)。一読した司法書士A君曰く「〜さえなされていない」「全く〜でなかった」といふ表現は公文書ではほとんど使はないわけで、これは報告文書には珍しく糾弾調、調査側の無念と怒りが伝はると。ところで、この報告書で「望楼発見」といふのが昔のやう。中央ビル火事の黒煙が志満津デパートと見えたといふ位置関係から当時その望楼で火事監視してゐた消防署がどこか、と気になるところ。旧大阪町(今は南町)に消防団の火の見櫓があって(こちら)あの当時はまだこれが残存してゐたので、こゝで火を見張つてゐたのかしら。航空地図(下)でが中央ビルでが当時の志満津百貨店で大阪町の火の見櫓の位置。

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そこに今の中央ビルが再建されて地下のこのレストラン街には火災前からのテナントでアタシが覚えてゐるのは和風喫茶の「九重」で、こゝは善哉や夏はかき氷など大好きだつた。そして天ぷら「いせ」が開店。当時、水戸で天ぷらといへば裡信願寺の「吉野」くらゐしかなくて天ぷら好きの祖母は水戸で衣の薄いあっさりとした天ぷらが食べられると、とても喜んでいつも連れていつてもらつてゐた。賑やかな地下のレストラン街だった。

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水戸は竹隈町・駿河屋のかすてら

今日から明日はだいぶ冷える。明日は大寒。先日の寒波では温水器の管が凍結して驚いたがマンション管理会社が早速、業者手配してくれて今日その修繕。水戸でも3年に1度くらゐ、水道管が凍るやうな寒波になる由。劣化してゐた保温材を取り除きしつかりと管全体をカバーしてくれる。かうした仕事の丁寧さは日本はさすが。

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本日、香港の渣打銀行より電話あり。香港の銀行システムは早くから電話やネットでの手続きが発展してゐて日本に戻つてもほとんどの手続きはネットで済んでゐたのだが住所変更はできても携帯電話番号の変更だけは「店頭で」で知己の経理に請ふてもこればつかりは香港に戻つた時に店頭でといはれてゐた。銀行にとつては住所など何うでもよく携帯が繋がるか何うかが重要で、まるで携帯電話が人格を有するやう。本人がこの世に不在でも携帯が存続してゐれば……みたいなシュールな世界すら想像してしまふ。香港の携帯電話はすでに昨年のうちに解約してしまひ何が困るかといへば何か手続きのときにOTP(One Time Passcode)が携帯にSMSで送られてくること。昨年末にダメ元で銀行に電話したところHPから書類をダウンロードして、それを郵送して……といはれ尋ねておいてこちらが驚いた。電話をかけてきた職員に聞いたら疫禍で銀行に出頭は避けるべきところでさまざまな手続きが銀行に行かずともできるやうになつたのだといふ。

安野光雅氏逝去。アタシは世代的に子どものころ『ふしぎなえ』や『ABCの本』には馴染んでゐたが『旅の絵本』には高校生でハマつてしまつた。中世欧州の世界でさまざまな物語が絵巻のやうに散りばめられてゐるのだが、どこかに"ANNO"といふ文字がさりげなくあつて、それが安野氏のANNOなのだがラテン語でそれが「年」で中世欧州の風景には教会建物などに刻まれてゐてもおかしくないと気づいた。どれだけあの絵本に癒されたことか。