(大公報)英国から変異ヰルスの香港伝播が恐れられる。(蘋果日報)昨年10月1日の抗争でパニックになつた警察官に銃撃された青年(保釈中)の刑事裁判始まつたが本人出頭せず。それだけで指名手配となるが不公平な裁判となること明らかで本人は家族も消息不明で安全な場所に匿われてゐるといふ。
鉄道、宗教と天皇と普通には全く異なるジャンルの話だが原武史先生の手にかゝると、これが見事な三題噺。先に第2章だつたか「二つの「常磐」――「ときわ」と「じょうばん」の近現代」を読む。「常磐」は「ときわ」と読むと水戸にある地名で昭和の急行「ときわ」も懐かしい。これが「じょうばん」だと常陸国と磐城国を結ぶ東日本の海岸線、国道6号や常磐自動車道となる。そして「ひたち」も「常陸」と「日立」がある。日立市は日立製作所があつて市名を日立にしたと思はれたりするが(愛知県の豊田市のやうに)実際には日立の地名の方が先(原先生もこれに言及してゐるが)。天皇との関はりでは常磐炭鉱への昭和さんの行幸、そして戦後の科学技術の粋としての東海村の原研。
この著者・櫻井秀勲氏は光文社で『女性自身』を150万部雑誌とて大成功させた辣腕編集者で『女性自身』のヒットはミッチーブームで皇室報道が女性たちに受け入れられたからで櫻井氏も生粋の右派。若い頃から康成、清張といつた大作家に可愛がられ三島には『女性自身』への連載を依頼してからの付き合ひだが三島担当が各社ともベテラン編集者多いなかで三島よりも年下で、これもかなり親しくつきあふことになつたのだが著者にいはせれば「どうも私と知り合った頃から(三島の)死への第一歩を踏み出したような気がしてならない」さうで三島本ながら著者自らの主張や半生が記述のかなりを占める。
三島由紀夫があと六年我慢したら日本の機運が大きく変わっただけに、その運命も違ったものになったかもしれない。
確かにその通りだらう。それにしても三島のあの死があつてもなくても日本は何も変はらなかつたのは何とも……そして櫻井氏の書く通り日本は三島が憂ふとおりの絶望的状況となつてゐる。
中井英夫。朝日の突然の記事は東都下谷の寺に中井の分骨がされたといふ。アタシは若いころ『夕映少年』を読んだのが初中井。『虚無への供物』は『ドクラ・マグラ』や『黒死館殺人事件』と並び日本三大奇書といはれるが感受性乏しきアタシにはどれも奇書といふほど不思議な物語とも思へなかつた。むしろ中年以降の新宿と北軽井沢の別荘をパートナーと若い青年たちと往復する日々の日記(流薔園変幻)も楽しく何よりも戦中日記が何度読んでも味わひ深いものあり。