富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

吉田健一『汽車旅の酒』


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香港では感染拡大で飲食店の営業は晩十時まで、明日から公務員は自宅待機で限聚令はまた二人迄となる。窮屈な社会。日本での感染「対策」を見てゐると香港があの程度の感染でなぜこゝまでやるのかと驚く。防疫を理由に社会のテンションを下げることが実の目的なのでは?とすら訝しく思へる。蘋果日報の1面トップには外国人記者倶楽部の入り口の写真。今回の防疫措置の細目は香港にいくつもある私人倶楽部にも適用ださう。

汽車旅の酒 (中公文庫)

汽車旅の酒 (中公文庫)

  • 作者:吉田 健一
  • 発売日: 2015/02/21
  • メディア: 文庫
 

長野への旅をしながらこれを読んでゐたのだから酒が飲みたくならないはずがない。鉄道の旅で酒を飲むなんて吉田健一の真骨頂。そのなかでもやはり金澤の話が良い。長野まで来たのだから、その足で金澤も今では新幹線で1時間余なのだ。 

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金澤への話に観世栄夫(1927〜2007)が登場。その人が書いたこの本の「あとがき」がまた面白い。健一が河上徹太郎観世栄夫と一緒に金澤に遊ぶのにアタシは当然、信越本線の夜行で高崎から長野を抜け北陸に向かふのだと思つてゐたが三人を乗せた急行「能登」は当時、東海道線を下り米原から北陸へ。東京をほゞ同じ時間に発つ「北陸」と金澤着の時間もあまり変はりないのだがなぜ東海道線経由だつたのか。健一のことだから上野から北に向かふ列車には食堂車が連結されてゐないといふやうな理由しか考へられない。健一の他の文章に依れば当時(つまり電化前)上野から北に向かふには勾配のある路線が多く機関車の牽引力を考へると食堂車のやうに旅客も運ばない車両は引かない方が良かつた、といふやうな理由となる。


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この季節初めてお燗をする。我が家では熱湯を魔法瓶に入れてアルミ製の酒タンポでお燗する。「とらや」の新更科を頬張る。更科は信濃国北部の旧名で長野帰りには偶然のこと。

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