富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

寸法足らずの痩せ我慢、自己正当化、狂信化して崩壊なのだ!


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香港では社交ダンス界で感染が目立つのだといふ。ペアであの距離ぢゃそりゃさうだらう。国安警察による民主派議員、活動家の〈不正〉捜索続く。

東外大で倉田先生♀主宰のオンラインセミナー拝聴。ゲストは写真家の初沢亜利氏と中藤毅彦氏。そして倉田先生♂も出演。倉田ご夫妻が昨年からのメディアへの露出でずいぶんと見た目も映えるやうになつたと感心。ゲストお二人の写真は印象的だが写真家が写真以上に語る内容に多少違和感。黄之鋒と周庭につき彼らが対外的に象徴的存在であり周庭に至つては日本でアイドル化は事実だが香港の地元では二人ともそれほどキーパーソンではないとか支持的な認知も低いとか、さらに雨傘運動での引導の失敗ですでに力がないとか聞いてゐて「おい、おい……」。

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昨日の朝日夕刊で読んだこの記事(こちら)。令和の博覧強記といへばこの人。水戸学についての言及あり。

売れっ子文化人になったいま、関心を寄せる分野がある。天皇を中心とした明治国家の設計に影響を与えた水戸学だ。「大川や北も重要ですが、その辺だけを論じても、近現代をうまく語れないと思いまして」
水戸学は尊皇と攘夷を組み合わせ大成した、日本化された儒学の思想体系だ。代表的な学者、会沢正志斎が主著「新論」で尊皇、富国強兵などを説くと、幕末の志士は精読。明治維新を生み出す起爆剤になった。
そんな水戸学を掘り下げていくと、旧日本軍と通底するものがあった。「寸法足らずのやせ我慢」と片山さんは表現する。
石高で劣りながらも、幕府から重責を負わされた水戸藩は、天皇から政治を任された将軍を支え、万世一系の国体を守ることが藩の尊い使命だと意義を導き出した。自らを納得させるために始めた「自己正当化」の学問、それが水戸学だという。
ところが時代が下り、外国の脅威が叫ばれ始めると、討ち死にしても尊皇攘夷を実行すべしと訴える勢力と、過激さを嫌う勢力が藩内で殺し合い、水戸藩は四分五裂に陥った。
現実問題として攘夷はできないのに「しなくては」と思い詰め、狂信化し崩壊していった。足りない分は兵隊の精神力で補うとした旧軍の先例が、水戸にあった。

寸法足らずの痩せ我慢、自己正当化、狂信化して崩壊……うーん、いやはやなんとも。かうしたところが水戸人にないなどとはいはない。水戸生まれ水戸育ちの身として実に「さもありなむ」。だが江戸からの〈水戸学〉といふ思想体系をこゝまでボロクソにいふかと思ふ。水戸の郷土史に詳しいJ君は「ずいぶん古い眼鏡をおつかひのやうで」と。函館M記者曰く「後付けの理屈な感じが…その瞬間、瞬間にはそう考え、行動したある種の必然性はあったんだろう」「その現場に降り立って考えないと、水戸学はオウム真理教みたいな扱いで……これは違うんじゃないでしょうか」と。御意。

▼今日の朝日だつたかな、島田雅彦先生の由紀夫さんに対するコメント。

戦後民主主義、経済成長、平和主義の信仰が生きていた時代、三島はそれらの欺瞞を穿ち、文化防衛を唱え、アメリカに従属しない新しい国体を模索していた。空っぽな日本人の心を埋めようとした三島の知的闘争はクーデター未遂と自決で未来に託された。三島のニヒリズムは知性ある者には遺伝したが、今日の日本を覆う対米従属、新自由主義反知性主義という名の思考停止が三島を二度殺そうとしている。