富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

「苦労」以外に賣りはないのか


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もはや白色テロ感のある香港での民主派弾圧。大公報はバプティスト小の「独師」つまり独立派教師免職を報じる(当然だが肯定的に)。蘋果日報は香港の運動家12人の台湾密航で香港政府機が香港を出た密航船を3時間にわたり「護航」で香港領海出たところで中共の海事公安が密航者拿捕と。本来であれば領海内で取り締まれるところ。怪しいことばかり。 

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転居の今月1日に買つた花がゆっくりときれいに咲いてゐる

菅某とはいつたい何ういふ人なのだらう。あまり仲良くなりたいとも思はない。荻上チキがラヂオで「苦労人」といふのを賣るばかり、と指摘してゐたが全くその通り。日本学術会議についても

6人を任命しなかった理由は「個別の人事に関することについてコメントは控えたい」とした。6人には安倍前政権で成立した安全保障法制や「共謀罪」法に反対の立場をとってきた学者が含まれるが首相は「まったく関係ない」と主張。「学問の自由に対する侵害」などと批判が出ていることにも「学問の自由とはまったく関係ない」と語った。

晋三の官房長官の時からさうだつたが「そんなことはない」と否定して「適切だ」とか断定するばかり。普通の人間ならかういふ態度をとつてゐることに相当のジレンマを感じて自分の評価を下げぬためにもバカな晋三ですら何かしらコメントして見せるものだが菅某はそれを我慢するだけ苦労人らしい強さがあるのか本当にOSがこれなのか。

 山本庸幸(元内閣法制局長官・元最高裁判事)「法の番人」退任を語る :朝日新聞

晋三のことを悪口いふのは簡単だがさすが内閣法制局長官最高裁判事になるやうな方となると本当に見方が冷静。晋三は本当に安保法制をやりたかつたのか。晋三に請はれ自らの法制局長官の地位を襲つた外務省小松への冷静な分析。己の怨念感じてもおかしくない相手に非常に興味深い分析を披露。

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美を追求した若者たち 「分離派建築会100年展 建築は芸術か?」朝日新聞

「我々は起つ」。過去から分離し、全ての建築を真に意義あらしめるために。今から100年前、建築の芸術性を世に訴へ建築界の革新を目指した若者たちがゐた。分離派建築会。文明開化以降、西欧の様式を真似てきた日本の建築界は明治末「日本独自の建築とは何か」といふ問ひに直面。過去の様式からの分離を掲げた欧州の芸術運動「セセッション」が知られるなか鉄筋コンクリートの普及背景に「建築の芸術性より質実剛健な構造を重視する風潮」が高まるのにに反発した若者たち。作品テーマは納骨堂や屠場など「生や死への関心が深い時代の空気を反映し」*1美術作品のやうな意匠、彫刻的な造詣感覚を見せる。建築家の仕事と言へば都市部の大規模な公共建築だつた時代に田園都市の個人住宅に目を向けた一方、関東大震災後の復興事業で都市といふ大きな視野をももたらし「構造の合理性と建築の美しさは一致するのか」という葛藤から建築作品を創る(例へば聖橋)。やがて国際的なモダニズム建築の潮流に触れて実生活への関心を深めていつた分離派は1928(昭和3)年に散開。この動きは「若気の至りと捉えられがちで専門家の間でもまともに知られてこなかった」が現代になつて藤本壮介氏やSANAA妹島和世西沢立衛のユニット)など世界的に評価の高い日本の建築の特徴とされる繊細さの中には、この分離派の影響があつたのでは?とされる。日本の現代建築の先駆けか。

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*1:記事のこの部分は意味不明