富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

彼岸の入り


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全民検疫を誇る大公報。三権分立否定され国安法の縛りもあり危機的状況にある香港司法。

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今日が彼岸の入り。こればかりは春分秋分が元で陰暦といふはずもなく陽暦。「彼岸」といふ言葉は梵語「pāram」から派生でpāram(彼岸)に+ita(到った)「波羅蜜」(Pāramitā)の意訳「至彼岸」に由来なんだとか。悟りに至るために越ゆるべき迷ひや煩悩を川(三途の川とは無関係)に例へ、その向こう岸に涅槃があるとする。恥ずかしいほどに煩悩多きアタシは彼岸どころか此岸で泥沼に身体を汚してゐるやうなもの。暑さ寒さも彼岸まで。それでも今年は陰暦でまだ八月三日。盂蘭盆會もまだなのだ。彼岸の入りといふことで独り真言宗豊山派神崎寺に掃墓。

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ずいぶんと立ち枯れてゐた南天がまた息を吹き返した。墓に酒を供へることは浮浪者など夜中にそれ狙ひ侵入などあるのでダメとされてゐるが酒好きの祖父と先考が眠つてゐるのでコップ酒を開けて供へ墓拝のあと飲ませていたゞく。周囲の墓が新しくなるなかで、それは殊に311の大震災でかなりの墓が倒壊して墓石が割れるなどして建て替へられたものなのだが、我が家の墓は石がずいぶんと古びてゐる。同じ寺に墓のある畏友J君には、これが通るたびに見ると経年の味わひありと言つていたゞいたが祖父が昭和の初めに常陸太田の梅照院といふ寺から墓を移し良石を選び立派な墓を建て大地震でもびくともせず。

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偕楽園へ。すでに萩が咲き始め。昔に比べると園内の松など手入れが見事で崖の緑地の手入れも大したもの。この偕楽園の高台から千波湖を見下ろすとアタシが思ひ出すのは映画〈さらば愛しき大地〉で鹿島の開発地でトラック業の主人公・幸雄(根津甚八)がレコ(秋吉久美子)と子を連れて休日にここに来るのだ。

千波湖畔にあつた遊園地・レイクランドに遊び伊勢甚デパートで買ひ物をする。茨城でも県南の鹿行地方は千葉の銚子や佐原の商圏で休日に水戸に遊ぶといふのは当時(まだ鹿島臨海鉄道もない)ピンと来ないのだが、これは柳町光男監督ゆゑの水戸へのオマージュだらう。

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好文亭の近くで百日紅さるすべり)もきれいに咲いてゐる。こゝから偕楽園の林園を抜け表門へ。そこから閑静な住宅地を少し歩くと茨城県立美術館。


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夏に「戦争と茨城」の展示あり週明けまで。日露戦争での活躍から、その名を全国に知られた水戸二連隊。水戸工兵隊。かうした部隊の勇敢な若い兵士たちもお国のために命を落とし、それが皇国の勝利を導くこともなく二連隊も工兵隊も終戦を待たずして昭和19年11月のペリリュー島などでの玉砕で部隊は歴史を終へてゐる。明治からの茨城出の軍人たち、特攻で命落とした若い兵士の手帳、遺書……一つ一つ読んでゐて若者たちがなぜ死を覚悟していつたのかと幾度も考へるが答へなど見出すことはできず。

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常設展で江戸時代の水戸市街の地図が大きなディスプレイになつてゐて、よく見ると(上の写真では黒く写つてしまつたが)泉町の「京成百貨店」(正確には現在は「水戸京成」だが)のプレートの位置がおかしい。かなり西(大工町)に寄りすぎた南北の通りでは荒木町と藤坂町の間にあり。この百貨店の位置はもつと東で泉町の広小路からすぐ。展示室にゐた若い職員にそれを伝へたが、何うもピンと来てゐない様子。学芸員にでも伝へてくれゝば良いのだが。 
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歴史館のあたりから丁度良い具合の路線バスもなく歩いて大工町へ。驟雨あり。通りの遠くから㐂久水の白い暖簾がかかつてゐるのが窺へたので小走りで、この古い食堂に飛び込む。
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いつもは定食の「ランチ」だが今日は固い焼きそば。母が幼い頃にはもう今のやうに食事を出してゐたといふのだから創業は大正の終はりくらゐだつたのか最初はミルクホールかカフェのやうな内装。水戸駅に行き駅ビルのビックカメラでいろいろ家電の買ひ物。実習生といふ腕章した若い店員が2時間ほどベタについて世話をしてくれる。近々入居する賃貸マンションの契約済ませて天気不安定ななか泉町に戻る。
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水戸京成百貨店前の敷地で市民会館の基礎工事が始まつてゐる。土曜日で今週の作業が済んだのだらう。二基の巨大なクレーン車が並んでゐるのだが、まるで舞踏の野外パフォーマンスのやうに、企鶴のやうに済ましてゐる。
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芸術館で〈道草展:未知とともに歩む〉といふ美術展参観。露口啓二といふ写真家が福島の帰還困難区域の一連の写真あり。そこにあつた掲示(下図)。福島浜通り原発が出来て当時から地元住民による原発建設反対運動あり。米国のスリーマイル島ソ連チェルノブイリでの原発事故があつても地元住民の原発反対の声は裁判で棄却された。そして311の大震災。司法はそれまでの判断について過失を認めるわけではない。

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17時半が最終入場で、その10分ほど前に入つたが香港のアーティスト・ローヨクムイの映像作品〈殖物〉は最終上映が17:15で始まつてをり途中入場不可で見逃すハメに。もう少し余裕もつて来なかつたアタシも悪いが時間設定の配分がよくない。展示期間中に改めて来ることに。パイプオルガンのプロムナードコンサートを聞く。
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台北李登輝先生殯儀。台湾で民主社会実現の功績。

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