富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦六月晦日


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農暦六月晦日。夜明けにひどい驟雨あり。この雨で少し気温下がる。快晴。千波大橋は此処から眺める千波湖は景観だが大橋の下は拡張道路工事中で大橋の途中にある歩行者用螺旋階段は環境整備から忘れさられ狭い通路両側の雑草茂り歩行にも支障あるほどで途中になつてゐる道路工事は此処が暫定で突き当りになつてゐるから自動車の交通量も少なく夜中に不良が集まり此処からバイクでの「お練り」開始でゴミも多く食ひ散らかしたカップ麺の残骸などあり市の清掃も盲点で荒れ放題。千波大橋は調べたら市道なので市役所の道路整備課に電話して環境整備を請ふ。

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昨日、GDPが年27.8%減で戦後最悪といふ発表あつたが生活者レベルとして疫下、世の中何うにか動いてゐる感あり。必要最小限あり。人も動く。無駄な動きがない。それでは景気がよくならない。だがすでに「地球を壊すほどの消費」レベルなのだから抑制があつても良いのかも。コロナ以前から?とも思ふが地方都市など繁華街に人がゐない。辛うじて開いてゐる店舗も客どころか店員の姿も見えず。空き店舗も多く、どんどん鄙びてゆくだらう。この光景どこかで見たやうな?と思つたら80年代末に訪れた豪州のパースがそれであり90年代のドイツでフランクフルトも大したことなかつた。当時は日本も香港も好景気でパースやフランクフルトは「これで大丈夫なのか?」と余計なお世話で心配したものだつたが、それで経済社会が何うにか成り立つてゐたのも事実。グーグル地図で見てみたら今でも当時と大した違ひもない。景気は多少なりともよくなつてもネット通販の拡充などで市街地など活気もないのは当然か。つまり、これくらゐが限界で日本もやつとそのレベルに。市街地で繁華街が大きくなりすぎたのだ。人口も減り、そんな繁華街と消費が続くはずもない。もうこれを、殊にポストコロナのこれを現実として受け入れるべきなのだらう。何も悪いことではない。もう発展する経済といふタームから逸脱しなければならない。

海と毒薬 (新潮文庫)

海と毒薬 (新潮文庫)

 

遠藤周作のこれ(海と毒薬)はずっと意識してゐたが読めないでゐた。それが新潮文庫のこの夏のフェアで、これも百を超へる重版となり、この夏は読書が捗つてゐるので、この勢ひのあるうちに読んでしまはうと思つた次第。あらすじは知つてゐたが物語の導入が戦後の東京郊外で直接、主人公でもない男が登場し近所の医院の不思議な医師と出会ふのだが、ふとした偶然でこの医師が九州F市にある大学病院で戦時中に米軍捕虜の解剖実験事件に関はつてゐたことを知る……といふ、この展開が見事。そこから、この勝呂(すぐろ)といふ医師の一人語りとなるのだが自分が担当することになつた、もう助かる見込みのない放つてをけば半年ももたない老婆を医局が手術の謂はゞ実験材料に使ふか何うかで悩む。興味深いのはこの苦悩が米軍捕虜の兵隊にも被ること。この捕虜が生きたまゝ麻酔を打たれた上で解剖実検に「献体」され死亡するところまでが確認されるのだが、この捕虜も前述の病床にある老婆と同じやうに「どうせ死ぬのだから」が前提になつてゐるかのやう。けして個々が残酷でもないのだが集団で集団の同町圧力か漠然とした意志で、かうした残酷なことも無思慮のまゝできてしまふ怖さ。 

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