富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

金砂郷の蕎麦を啜りて終戦忌


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大公報は香港の恒生指数にアリババや小米が指数の指標となるブルーチップ(優良株)に選ばれたこと喜べば蘋果日報はジミー黎智英逮捕をトランプも猶予と嘆く。
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朝ごはんの代はりに和菓子一つ、が好き。木村屋本店の鹿の子は昨日、おはぎと一緒に母が買つてきたもの。 


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旧のお盆の中日で妹の運転で母と三人で県北の親戚と墓をまはる。常陸大宮で久慈川近くに叔父母の墓参り。昨年の台風19号久慈川は記録的な大氾濫となり従弟T君の家も床上浸水どころか1階がすべてやられて今は市の復興住宅に仮住まひで住宅はちょうど解体のさなか。上流の堤防崩壊でこの辺りは堤防の1m下(画像の赤線くらゐか)まで冠水。それにしても猛暑のこの土地の風景はまるで何もなかつたかのやうに田んぼには稲穂が育つてゐる。今年の田植えは無理だと思はれてゐたが春までに灌漑設備と用水も修復で稲作にこぎつけたのだといふ。自然と人間の逞しい強さ。


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金砂郷は蕎麦の名産地。道路が小さな丘を越へるところに昔は花房ドライブインといふのがあつたが、その廃墟の横に「坂井」といふ手打ちそば屋あり昼餉。猛暑にもりそばでとろゝそばを頼んだら800円で十分な量の野菜天ぷらがついてきた。

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ちょうどお昼で全国戦没者慰霊式の実況中継がそば屋のテレビに映る。天皇皇后両陛下のかうした式典へのご来臨もコロナ以降初めてか。 

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天皇はさきの大戦の犠牲者に対して深い悲しみと追悼。そのマイナスゆゑに恒久の平和を願ふ。まさに普遍的価値。それに対して晋三も戦争で犠牲となつた人々に対して追悼してゐるのだが戦陣に散った兵隊は「祖国の行く末を案じ」ださうな。お国、天皇のために命も犠牲にすることが命じられ南洋で見方の防御もないまゝ野垂れ死にでは祖国の行く末が「このまゝではダメだらう」と案じながら「もつとマシな世の中になつてほしい」での「祖国の行く末を案じ」だらう。そして晋三は兵隊たちに加へ原爆、空襲や沖縄の地上戦で犠牲となつた国民をも視野に入れてみせるのだが注意すべきは、その次のフレーズで今日の我々が享受する平和と繁栄は「さうした戦没者尊い犠牲の上に築かれたもの」とする。果たしてさうだらうか。とんでもないファッショ政府に対するレジスタンスで命を堕としたのなら戦後の平和と繁栄は「その犠牲の上に」だが、日本でさきの大戦では兵隊も市民も、そんな崇高な理念や正義に基づいて命をおとしたのではない。特攻隊も原爆も地上戦も死ねと命じられたやうなもの。そのやうなとんでもない過ちがあつたからこそ天皇の仰るやうに、それを深い反省として「終戦以来75年」にわたり人々のたゆみない努力で今日の平和と繁栄があるとする。まさに正論。晋三の欺瞞。繰り返していふが戦争で失われた尊い命の上に戦後の平和と繁栄が築かれたものではない。晋三が遺族=国民にご多幸をいふのなら早く首相を辞めてくれ。

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戦後75年で村山元首相が談話から25年、村山元首相「村山談話に託した想い」コメント を出してゐる。産経新聞がこれを取り上げてゐるのに「へぇ」と思つたが産経が結局いひたいのは「過去を一方的に断罪した村山談話は日本の名誉と国益を損なってきたとの指摘がある」。だが産経のジレンマは天皇も基本的に戦争までの失敗を断罪した上で戦後の日本再建を評価してゐること。

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昔は田畑のなかに点在する集落に小さなナントカ商店があるくらゐだつたが今では田畑のなかに突然、大型スーパーやコンビニ、ドラッグストアが点在。そのなかで全日食チェーン金砂郷店 [食べログ] は総菜の充実度、パンのおいしさが評判ださうな。パンだけでもバラエティに富み次々と売れてゆく。(さっき蕎麦を啜つたばかりだといふのに)クリームアンパンを食べてみたが不思議な美味さ。


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水府村の芦間にある父方の祖父母の墓所に参る。父方の祖父母の墓にある祖父の句碑。この祖父、俳号「竹王」とはまぁ自豪だが書も見事。

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うろこ雲 子孫は近し 祖は遠し

このあたり馬頭観音道祖神、街道沿ひに祠など少なからず。古くから久慈川や支流の穀倉地帯でヒトや物の往来も盛んであつたのだらう。道祖神がまるでモダンアート。
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水府村の和田で父が育つた祖父母の家はもう廃墟になつてゐるが近くに大叔父(故人)の家があり昨年大叔母が長寿全うで初盆。家にはすでに郷里を離れた三人の娘さんが集つてゐてお線香をあげ大叔父母の思ひ出話に泣き笑ひで暫し物語る。和田には玉喜屋といふ昭和5年創業の老舗の饅頭屋あり、それをいたゞいて頬張る。素朴な田舎饅頭の美味さ。本当はこれをアテに日本酒を飲みたいが我慢してゐると、そんな顔をしてゐたのではないだらうが叔母さん(正式には父母の従姉妹にあたる)がお土産にと薩摩焼酎をアタシに用意してくれてゐた。
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水府村の和田から金砂郷村の久米に入り常陸太田は天神林にある佐竹寺(真言宗豐山派)を詣でる。常陸太田から水戸そして秋田へと転封となつた佐竹氏の祈願所で、このこっぱ葺も見事な本堂(国の重要文化財)は天文15年(1546年)に佐竹氏18代の義昭再建のものが現存。

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水戸に戻る。デパートの高層から見た西の空。もう雲もずいぶんと高く秋の予感。 

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梅雨からもう5度目になるかしら、芸術館でパイプオルガンのプロムナードコンサート。東京は麹町の聖イグナチオ教会でオルガンも担当される朝井寛子さんの演奏。今日は8月15日といふ終戦記念日でお盆の中日でもあるのだが聖フランシスコ=ザビエルが種子島に上陸したのもこの日なのださうな(陽暦なのか当時、陰暦かは知らない)。 


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今日は同行の方とコンサートに合はせ暑気払ひにさっと飲みませうといふオツな話となりと¥泉町のイタリアン“Gigino”(ジーノ)のテイクアウトで泡はグレラ、鶏レバーのペーストに自家製フォカッチャで夜のピクニック気分。芸術館の広場(伊トスカーナシエナのカンポ広場の見立て)で塔を見上げながら夜風を浴びて心地よし。風呂敷もイタリアンっぽが“Albetreppe”は「あるべ?とれっぺ?」でイバラキアンである。
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今日、R叔母からいたゞいた焼酎を早速開封して賞味。薩摩は佐多宗二商店の芋焼酎cangoxina”が、それ。日本に戻って四ヶ月半で初の焼酎。16世期の欧州で描かれた地図でジパングにカンゴシナ(鹿児島)あり。


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