大公報は壹媒体(蘋果日報)の財政危機を嗤ひ蘋果日報は命がけで自由を守らうと訴へる。
朝イチに水府は泉町にある水戸屋に寄つて店頭にはまだ出てゐない「おはぎ」尋ねたら数分で練つてくれた。素朴で美しい。お昼にいたゞいたら微妙な塩味で美味しい。
PayPayでたまに「あたり」が出るとは聞いてゐたがアタシはかうした運がないやうで忘れてゐたら今日、Maruni Coffeeで珈琲豆贖つたら突然「あたり!」と出て買上げ額の5%還元で35円分。何うせなら10,000円でも使つた時なら500円になつたのに。
猛暑だが夕日は美しい。午後六時前で、もう夕暮れ。雲もだいぶ高くなり秋が立つてきたと感じる。 お昼は水戸屋の「おはぎ」だつたが母が木村屋本店のおはぎを買つてゐた。こちらはきれいな煉餡でまぁ上品に。同じおはぎでも見た目も味もずいぶんと違ふ。こちらはハイボールのアテにいたゞいた。
白おふかし(白隠元豆のおこわ)も木村屋本店謹製。随分と上質の餅米で炊かれてゐた。ほんとうに微かな塩味。
進駐軍で茨城軍政部の法務担当官として水戸に駐在したケネスDフロスト氏の水戸での駐在の日々の回顧録を読む。本編もだが訳した荘司治氏によるあとがきも興味深い。ケネス氏は水戸に留まり水戸出身の女性と結婚、進駐軍のゐた時代は水戸で米兵相手のクラブを開き、その後は奥さんが美容室を経営。アタシの家の近くでアタシも子どものころにケネスさんが毎日、夕方になると同じコースで散歩してゐたのを思ひ出す。とても地味な方で人付き合ひも限定され寡黙で近づきにく印象もあつた。
占領期に物資横流し等横行する中それに手を染めなったどころか贈収賄絡みの殺人事件で犯人に仕立てられてしまひ無事潔白を示せた正義漢。水戸で生涯を終へ、堅実な生活でこつことつと貯めた財産を死後に水戸市の国際交流基金に寄付された。
米軍を相手に日本は何う抗戦しようとしたのか。