富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

第九


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香港では市区感染拡大でもはや感染源辿れず。9月の立法会選挙の立候補締め切りが今月末で反政府派候補への圧力日増しに高まる。
本日、農暦六月初六。梅雨は明けず。県立歴史館で夏の特別展「戦争と茨城」已経開了で出かけようとも思つたが午後の予定を考へると十分な参観時間もとれず折角行くなら見たい史料もあり今日はあきらめ市立図書館へ。ソーシャルディスタンスとつた閲覧室は勉強の学生さんで爆満。開架図書の一角の椅子で読書。今日はこれから芸術館で「“吉田秀和初代館長の好きな曲”を聴く」でベートーヴェンの第九。『私の好きな曲』の文庫本も吉田秀和全集も香港にまだ置きつぱなしなので『私の好きな曲』を借りて第九の章を読む。私立図書館には「芸術館」の専用書架あり秀和さんや小澤征爾森英恵といつた方の書籍が並んでゐる。この秀和さんの記述のなかで白眉は第九の何がすごいのか?を「後期のベートーヴェン」での和声の変則から分析してゐるところ。ここは多少難しいが何度読んでも面白い。4頁ほどコピーとり線を引きながら熟読。
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歩いて5分ほどで芸術館へ。幼稚園から中学生まで住んでゐた「町内」なので懐かしいかぎり。今日の第九は第九で最も有名で歴史的なフルトヴェングラー指揮で バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団のそれ。今日の解説は芸術館音楽部門主学芸員の関根哲也氏。これまでのこの企画同様に演奏はLPを聴くものだと思つてゐたら今日はそのハイレゾ音源でMacで何とかといふハイレゾ再生ソフト使ふのだといふ。この演奏は1951年、戦後やつと再開となつたバイロイト音楽祭。通常ならワーグナーの曲が主のところ第九は戦前の第1回のこの音楽祭でワーグナー自身が選ばれたさう。吉田館長も1953年にバイロイトでこれを聴いたのだといふ。

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関根氏の解説が『私の好きな曲』の「第九」の章でアタシがさきほど熟読してゐた、まさにその箇所のことだつたので予習もあつて実によく理解できるところだつた。解説の際はフルトヴェングラーのではなく秀和さんがそれと並び推してゐるジョージ=シェルがクリーブランドオケで1962年に収録した第九を用ゐていた。これはフルトヴェングラーのそれとは正反対で「日本ではあまりウケないが」ベートーヴェンがこの曲に込めたものを正確に表現してゐるとするもので解説でのこの演奏の採用は正鵠を射る(得る)ものだらう。 フルトヴェングラーのこの第九、あらためて最高級の音質で聴いても、そりゃモノーラルで合唱は遠すぎるとかいはれるが、このハイレゾ音源ではモノであることを意識もさせず、その合唱も谷の向かふから流れてくるやう。このイベントがはねて雨も霧雨程度なので馴染みの酒場がまだ暖簾こそ出してゐなかつたが入れてもらつて早酒。歩いて気分よく帰宅途中にコンビニに寄つたらアストンマーチンのミニカーなんて売つてゐる。衝動買ひしてしまふが家で開けてみると塗装がイマイチ。何だかヤンキーがオリジナルをどえりゃ~メタリックシルバーに塗装してしまつたやう。

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市立図書館の芸術館書架の吉田秀和著作のなかに『ソロモンの歌』があつて「荷風を読んで」を一読。東京で生まれ育つた秀和さん曰く「京都こそは本当に都会らしい都会だ、東京は醜悪が混在している」。京都は都会を造らうと計画して造られた都市で東京は田舎が自然に都になつた。秀和先生は荷風散人を通して近代人とは何かを説く。

自分の自由を守るためには、どんな責任を自分の背が引き受けなければならないのか。

荷風散人が訳したフランスのテイザンなる人の北斎論も面白い。

理想的傾向を持たず敏感な感情を駆使して多年感情の世界に没頭した末、苦悩悔恨を蔵せざるものゝように事物百般を見る目をつくりあげる。

これが日本の芸術の特徴で秀和さんはまさにこれは北斎に限らず日本の芸術文化の特徴と見抜く。数々の荷風論があるなかで秀和先生のこれもさすがに読み応へあり。